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立虫神社ではいただけません
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たちむしじんじゃ

立虫神社
島根県 大津町駅

参拝自由
社務所:09:00〜17:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

神社前の公園及び東側専用駐車場100台分あり

おすすめの投稿

神祇伯
2023年11月29日(水)
1310投稿

出雲国出雲郡の式内社です。元々は斐伊川の源流近くに素戔嗚尊さまと共に御祭神の皆さんが植林を行い、その後川中の中洲に鎮座していました。しかし大洪水に遭い、万九千神社の境内に遷座し再建されました。現在はこちらを本社、万九千神社が境内社として宗教法人登録されているようです。

立虫神社(島根県)

《一の鳥居》
こじんまりとしており、参道の両側はしめ縄で区切られています。

立虫神社(島根県)

《馬繋荒神》
祓殿かと思ったら末社でした。

立虫神社(島根県)

《社号碑と由緒書き》
こちらにだけ「特別神社」と書かれています。万九千神社につくのではなくこちらに。

立虫神社(島根県)

《二の鳥居》

立虫神社(島根県)

《ネズミの由緒書き》
大国主さまの説話に登場し、大国主さまと大国さんが集合した後は大国さんの御使いとしても知られています。

立虫神社(島根県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
現在の斐伊川を見ると川幅は広いですが水は少なく、たしかにこれなら神社が建ってそうではあります。そして現在も鎮座地から南西の川の中に中洲があり、ここが元鎮座地なのかもしれません。

立虫神社(島根県)

《本殿》
こちらは普通に大社造です。

立虫神社(島根県)
立虫神社(島根県)

《末社群》
建物ではなく石柱に神名が刻まれ、しめ縄が巻かれている形式です。

立虫神社(島根県)

《稲荷社》
いつもお世話になってお(🤛

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AKI
2021年10月11日(月)
747投稿

万九千神社本殿に参拝後、左側がの立虫神社本殿に参拝して、万九千神社の御朱印と一緒に頂きました。

立虫神社の鳥居

万九千神社と同じ場所にあります。

立虫神社の歴史

立虫神社由緒書き

立虫神社の本殿

左側が立虫神社本殿になります。

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歴史

「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。
社伝によれば、三柱の主祭神は、父神である素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、仁多郡鳥上の峰に来たり坐して、木種を四方に播き植えつつ、当地に至って御鎮座されたといいます。当社はもともと、現在地より南西方向へ約800mほど隔てた所にあった斐伊川の中州(現、神立橋の大津町より付近)に鎮座していました。ところが、江戸時代の寛文年中、大洪水に伴う斐伊川の流路変更の影響により、社殿、社地を他所へと移転せざるを得なくなり、寛文10年(1670年)、近隣の万九千社境内に社殿造営を果たして御遷宮されました。なお、当社はたびたび社地を遷しており、より古くは旧出雲郡河内郷(現、仏経山西方の斐伊川中州あたりか)に鎮座していたとされています。
現境内地に遷られて以降、当社は「神立大明神などと呼ばれていました。明治維新以降は古称に復し、「立虫神社」と名を改めて村社に列せられました。大正9年(1920年)には、旧千家村に鎮座していた客神社を合祀。これ以降、旧併川村の氏神、産土神として今日に至ります。先の大戦以降は、神社本庁所属となり、昭和50年(1975年)には、島根県神社庁から特に由緒があり祟敬の篤い神社として、特別神社の称を賜りました。

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立虫神社の基本情報

住所島根県出雲市斐川町大字併川258
行き方

一畑電車大津町駅より徒歩18分
出雲縁結び空港から車で20分
山陰自動車道、斐川インターから車で20分

アクセスを詳しく見る
名称立虫神社
読み方たちむしじんじゃ
参拝時間

参拝自由
社務所:09:00〜17:00

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0853-72-9412
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.mankusenjinja.jp/

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 五十猛命
 大屋津姫命
 抓津姫命
《配祀神》
 大穴牟遅命
 伊弉冉大神
ご神体不詳
創建時代不詳
創始者不詳
本殿大社造
ご由緒

「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。
社伝によれば、三柱の主祭神は、父神である素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、仁多郡鳥上の峰に来たり坐して、木種を四方に播き植えつつ、当地に至って御鎮座されたといいます。当社はもともと、現在地より南西方向へ約800mほど隔てた所にあった斐伊川の中州(現、神立橋の大津町より付近)に鎮座していました。ところが、江戸時代の寛文年中、大洪水に伴う斐伊川の流路変更の影響により、社殿、社地を他所へと移転せざるを得なくなり、寛文10年(1670年)、近隣の万九千社境内に社殿造営を果たして御遷宮されました。なお、当社はたびたび社地を遷しており、より古くは旧出雲郡河内郷(現、仏経山西方の斐伊川中州あたりか)に鎮座していたとされています。
現境内地に遷られて以降、当社は「神立大明神などと呼ばれていました。明治維新以降は古称に復し、「立虫神社」と名を改めて村社に列せられました。大正9年(1920年)には、旧千家村に鎮座していた客神社を合祀。これ以降、旧併川村の氏神、産土神として今日に至ります。先の大戦以降は、神社本庁所属となり、昭和50年(1975年)には、島根県神社庁から特に由緒があり祟敬の篤い神社として、特別神社の称を賜りました。

体験祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説

Wikipediaからの引用

概要
万九千神社(まくせのやしろ)は、島根県出雲市斐川町にある神社。通称として万九千神社(まんくせんじんじゃ)と言われる。同じ敷地内に立虫神社(たちむしじんじゃ)の社殿が建てられている。神在月にお集まりになる八百万神が出雲で最後にお立ち寄りになる場所とされている。本殿がなく、拝殿の後ろに玉垣で囲まれた高さ約3mの磐座(いわくら)がある。
アクセス
交通[編集] JR出雲市駅から車で12分(駐車場あり) 一畑電車 「大津町駅」から徒歩18分
引用元情報万九千神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%87%E4%B9%9D%E5%8D%83%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=84494399

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