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いくつひこねじんじゃ

活津彦根神社のお参りの記録一覧
滋賀県 安土駅

きどっち
2021年12月06日(月)
1180投稿

安土城趾入口から約1kmほど西側に鎮座する神社です。

それほど小さな神社でもないので他の参拝者の方もいらっしゃるかな?と思っていたのですが、参拝者は私一人だけ。
とっても静まりかえった境内で、ひとりゆっくりとお参りさせていただきました。

創祀年代不詳とのことですが、この辺りは古来から豊浦庄と呼ばれており、天平感宝元年(749年)には桓武天皇が奈良薬師寺に寄進された土地だそうです。
天正4年(1576年)に織田信長公が安土城を築くに当たり参詣されました。

御祭神は、活津彦根命。
天照大神の第四御子神になります。
『日本書紀』では活津彦根命、『古事記』では活津日子命と表記されているそうです。
ここは安土なのに「なぜ彦根?」と思っていたんですが、御祭神のお名前だったんですね😅
しかし現在の彦根市の語源は、この活津彦根命からきているとも云われているとか。

活津彦根神社の鳥居

鳥居

後で知ったのですが、一の鳥居はここからさらに南へ500m先にあるんだそうです。

活津彦根神社の狛犬
活津彦根神社の狛犬

とってもいい表情をしてらっしゃいます

活津彦根神社の建物その他
活津彦根神社の手水

手水舎

活津彦根神社の本殿

拝殿
とても立派な拝殿なのでより一層気持ちが引き締まります

活津彦根神社の建物その他

拝殿に近づくと「敬神崇祖」の扁額がかかっていました。
だから自然と気持ちが引き締まったのかもしれません。

活津彦根神社の芸術

拝殿内の奉納画

活津彦根神社の芸術
活津彦根神社の本殿

本殿

活津彦根神社の建物その他

しゃちほこ?

活津彦根神社の本殿

本殿
御神紋の横木瓜が見えました

活津彦根神社の歴史
活津彦根神社の歴史

由緒書

活津彦根神社の建物その他

本殿前の石碑

活津彦根神社の末社

境内社 蛭子神社

鳥居の色が印象的でした

活津彦根神社の歴史

蛭子神社の由緒書

活津彦根神社の建物その他

こちらは社務所でしょうか。
残念ながら閉まっていました

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Gauche Ingalls
2023年12月10日(日)
667投稿

#活津彦根神社

ご祭神はイクツヒコネの命。

#活津彦根命

古事記では活津日子根命、日本書紀では活津彦根命。アマテラス大神とスサノオの尊による”うけい”で、アマテラス大神が持っていた勾玉から生まれた5柱の男神の1柱。5柱の兄弟のうち、古事記・日本書紀とも4番目とする。

”うけい”でアマテラス大神の玉から生じたのは、アメノオシホミミの尊、アメノホヒの命、アマツヒコネの命、イクツヒコネの命、クマノクスビの命の5柱の男神。一方、スサノオの尊の剣からは、タゴリヒメの命、イチキシマヒメの命、タギツヒメの命の3柱の女神が誕生した。
大将軍八神社(京都市上京区)のように、この8柱の全員を祀る神社も割と多い。
5柱の男神のうち、兄3柱はときどき単独で祀られもする。アメノオシホミミの尊は同じ滋賀県の阿賀神社(東近江市)、アメノホヒの命は防府天満宮(山口県防府市)、アマツヒコネの命は多度大社(三重県桑名市)、といった具合だ。一方、最後の2柱であるイクツヒコネの命とクマノクスビの命は、8柱の御子神というグループを離れて崇敬を受けている例を見たことがなかった。イクツヒコネの命に関してはここ活津彦根神社が唯一だし、クマノクスビの命は依然としてゼロだ。

活津彦根神社の御朱印
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