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睦神社の基本情報

住所埼玉県さいたま市南区白幡1-16
行き方

JR武蔵野線 武蔵浦和駅より徒歩約10分

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名称睦神社
読み方むつみじんじゃ

詳細情報

ご祭神木花咲耶姫命
ご由緒

(「睦神社 御由緒」の立て札より)

□御縁起(歴史)
 白幡は、現在は高層住宅や工場の立ち並ぶ市街地であるが、かつては中山道沿いののどかな農業地域であった。その村名について『風土記稿』は、天慶年中(九三八 - 九四七)、平将門を征伐するために藤原秀郷がしばしば陣を張り、八幡神を勧請して軍の勝利を祈った際、陣中に白幡を立てたことに由来するとの話を載せている。
 当社は、この白幡の村社であった富士社(富士浅間社)に一〇の神社を合祀して成立した神社で、「睦」の社号は合祀で一つになった諸社及びその氏子が睦び和むようにとの願いを込めたものである。なおこの合祀は二回に分けて行われており、まず明治四十年六月に大字浦和領別所の村社稲荷社、大字浦和領辻の村社熊野社、大字文蔵の村社神明社及び各々の境内社、大字白幡から無格社の諏訪社及び八幡社を合祀し、次いで同四十二年十二月に大字浦和領別所から無格社の神明社・十羅神社・稲荷社(三社)・第六天社(二社)を合祀している。ちなみに、当社が睦神社と改称したのは明治四十四年のことである。
 これらの諸社のうち、白幡の八幡社は、『風土記稿』白幡村の項に「八幡社 当社は天慶年中平将門征伐の時、藤原秀郷軍の勝利を祈らんが為に、勧請せしなど土人はいへり(以下略)」と載る社で、その本地仏の阿弥陀像は、明暦二年(一六五六)に倒れた神木で作ったものであったという。県立浦和商業高校は、同社の旧地に建っている。

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