御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
一運寺ではいただけません
広告
一運寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月15日(木)
参拝:2022年12月吉日
金龍山 一運寺(いちうんじ)
△▼△飛鳥への小径 赤穂義士之寺▼△▼
山号 金龍山 一運寺
宗旨 浄土宗
御本尊 薬師如来尊像
聖観世音菩薩
開創 聖徳太子
当寺の始まりは、聖徳太子は四十二歳の時、この地に自らの厄払いの為もあり七堂伽藍を建て磯長山転法輪寺と名付けられました。
法然上人は建永の法難(1207)により讃岐の国に流罪となられまたが、その年赦免され都に帰る途中、嵐に遭われ泉州岸和田へ漂着、船が住吉まで流された。船の修理する間(五月から十二月頃までと思われる)上人は当寺に長くご滞在されご説法された。法然上人当時七十五歳の時である。
その時残された御歌が
「 ゆきめぐる 山路も里も 吉水の
清き流れの つきじとぞおもふ 」
である。
(吉水とは知恩院周辺地域の呼び名であり、
そこから脈々とつづくお念仏の教え。)
※建永の法難
法然上人率いる念仏集団が、既存仏教団より弾圧され、後鳥羽上皇によっても専修念仏の停止と、法然上人の門弟四人の死罪、法然上人と親鸞聖人ら中心的な門弟七人が各地へ流罪に処された事件。
大阪住吉は赤穂義士との縁も深く、一運寺境内には赤穂義士四十七士の内、大石父子と寺坂吉右衛門の三基の墓所があります。
一運寺山門由来
金龍山 一運寺の山門は、明治天皇側室・若菜局(津守好子)に由来し、また大阪文学を代表する作家・藤沢恒夫ゆかりの門でもある。
元は旧橋本左膳太夫(住吉大社神人家)邸の門を若菜局邸に転用したものと伝わる。
明治天皇側室の津守好子(住吉大社第七十四代宮司津守国美の令嬢)は、明治天皇の崩御によって住吉に帰郷、その隠居生活のため住吉別邸が津守家により建てられ、その門に旧橋本左膳太夫邸のものが転用された。若菜局の隠居邸として威儀を正した佇まいであった。
大正七年、津守好子の卒去の後、所縁あって大阪文学を代表する作家・藤沢恒夫がその屋敷を譲り受けるところとなり、長く藤沢文学を見守り続けた。その後、藤沢邸が取り壊されることとなりその工事を請け負った棟梁が時の一運寺の総代であった。当時一運寺は地震倒壊により山門がない状態であった。そこで藤沢邸の門を一運寺の山門として移転したのである。
津守好子
大正七年四月二十四日没
「 國のため みをすてましし
君なれは うえこそ神と
いつかれにけれ 」
~境内説明板より~
大阪市住吉区住吉2丁目6-23
南海高野線・住吉東駅西へ徒歩5分
阪堺線・住吉駅東へ徒歩5分
△▼△飛鳥への小径 赤穂義士之寺▼△▼
山号 金龍山 一運寺
宗旨 浄土宗
御本尊 薬師如来尊像
聖観世音菩薩
開創 聖徳太子
当寺の始まりは、聖徳太子は四十二歳の時、この地に自らの厄払いの為もあり七堂伽藍を建て磯長山転法輪寺と名付けられました。
法然上人は建永の法難(1207)により讃岐の国に流罪となられまたが、その年赦免され都に帰る途中、嵐に遭われ泉州岸和田へ漂着、船が住吉まで流された。船の修理する間(五月から十二月頃までと思われる)上人は当寺に長くご滞在されご説法された。法然上人当時七十五歳の時である。
その時残された御歌が
「 ゆきめぐる 山路も里も 吉水の
清き流れの つきじとぞおもふ 」
である。
(吉水とは知恩院周辺地域の呼び名であり、
そこから脈々とつづくお念仏の教え。)
※建永の法難
法然上人率いる念仏集団が、既存仏教団より弾圧され、後鳥羽上皇によっても専修念仏の停止と、法然上人の門弟四人の死罪、法然上人と親鸞聖人ら中心的な門弟七人が各地へ流罪に処された事件。
大阪住吉は赤穂義士との縁も深く、一運寺境内には赤穂義士四十七士の内、大石父子と寺坂吉右衛門の三基の墓所があります。
一運寺山門由来
金龍山 一運寺の山門は、明治天皇側室・若菜局(津守好子)に由来し、また大阪文学を代表する作家・藤沢恒夫ゆかりの門でもある。
元は旧橋本左膳太夫(住吉大社神人家)邸の門を若菜局邸に転用したものと伝わる。
明治天皇側室の津守好子(住吉大社第七十四代宮司津守国美の令嬢)は、明治天皇の崩御によって住吉に帰郷、その隠居生活のため住吉別邸が津守家により建てられ、その門に旧橋本左膳太夫邸のものが転用された。若菜局の隠居邸として威儀を正した佇まいであった。
大正七年、津守好子の卒去の後、所縁あって大阪文学を代表する作家・藤沢恒夫がその屋敷を譲り受けるところとなり、長く藤沢文学を見守り続けた。その後、藤沢邸が取り壊されることとなりその工事を請け負った棟梁が時の一運寺の総代であった。当時一運寺は地震倒壊により山門がない状態であった。そこで藤沢邸の門を一運寺の山門として移転したのである。
津守好子
大正七年四月二十四日没
「 國のため みをすてましし
君なれは うえこそ神と
いつかれにけれ 」
~境内説明板より~
大阪市住吉区住吉2丁目6-23
南海高野線・住吉東駅西へ徒歩5分
阪堺線・住吉駅東へ徒歩5分
法然上人御歌
「 ゆきめぐる 山路も里も 吉水の
清き流れの つきじとぞおもふ 」
「 ゆきめぐる 山路も里も 吉水の
清き流れの つきじとぞおもふ 」
年末ということとこちらの貼紙により、お声掛けは控えさせて頂きました
またお参りさせて下さい
またお参りさせて下さい
飛鳥への小径
🪷 住𠮷大社 Fabulous 🪷🐈⬛🌎💐🪷🐺🌈
一運寺、荘厳浄土寺、浄光寺(油地蔵尊)、西之坊、ちぎり地蔵尊 哀愍寺、東福寺、宝泉寺、四天王寺
12/14 9寺社お参りさせて頂きました
一運寺、荘厳浄土寺、浄光寺(油地蔵尊)、西之坊、ちぎり地蔵尊 哀愍寺、東福寺、宝泉寺、四天王寺
12/14 9寺社お参りさせて頂きました
すてき
みんなのコメント(2件)
ハマの「寺(テラ)」リスト
こんばんは。
昨日は赤穂浪士の義士祭ということもあって、年末の風物詩にもなっているようでした。
赤穂浪士のゆかりの地として各地に点在しているいますが、
一運寺も大石父子と寺坂右衛門が祀られているみたいで、落語の中でも「天河屋利平」の中でその話が出て来ます。
その浪曲もこの時期にはよく流れていた記憶が蘇ります。
実は、今から10年前に一度訪れており、御朱印も普通にいただくことも出来ましたが、やはりコロナですかね。
2022年12月15日(木)
ハマの「寺(テラ)」リストさま🌿卍❄✴
おはようございます。この時季はシンシンと雪が静かに舞降りるイメージがあり、快晴がこと更寒さを感じさせますね。❄ご覧下さりありがとうございます。 阪神高速・中央区~天王寺は混雑していて師走を感じました。国立文楽劇場や上六辺りの
見慣れたはずの光景も少しずつ様変わりしていて、それでも管理される寺社さまには感謝しています。
また、先日みーちゃま🐯が、東福寺さまにもハマテラス先生の分もとお参りしてくれた様子ですが、私も彼方も此方も拝受できませんでした。みーちゃま🐯にはお世話になり放しです。💕 ただお寺さま御住職や奥様は変わらず接して下さり懐かしくご拝顔叶い嬉しく思いました。
14・15日は赤穂には巡拝できませんでしたが、近くお参りさせて頂きます。上方落語♡よいですね。コメントをお寄せ頂きありがとうございます。🪷🐈⬛🌎💐🪷
2022年12月16日(金)
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。