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しきのみやがたにいますじんじゃ

志貴御縣坐神社の御由緒・歴史
奈良県 三輪駅

ご祭神大己貴命(おおなむちのみこと)
天津饒速日命(あまつにぎはやひのみこと)
創建時代天平2年(730年)以前
創始者不詳
ご由緒

『延喜式』神名帳には大社に列せられる古社。
かつて大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「倭の六県」(高市県、葛木県、十市県、志貴県、山辺県、曽布県)の一つ「志貴県」の守護神として祀られたものと考えられる。
これら「倭の六県」は『延喜式』祝詞に見え、蔬菜類を栽培し献上するための農園のような地だったらしい。そのような朝廷に献上するための野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神として祀る神社。

歴史
歴史[編集] 概史[編集] 創建は不詳。 天平2年(730年)の『大和国正税帳』では、「志癸御県」の神戸として城上郡内から租穀1,351束8把が定められ、そのうち祭神料として4束が充てられている[1][2]。 『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「志貴御県神」に神戸として大和国から12戸が充てられている[1][2]。 国史では、天安3年(859年)に「志貴御県神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記される[2]。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、大和国城上郡に「志貴御県坐神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では...Wikipediaで続きを読む
引用元情報志貴御縣坐神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E8%B2%B4%E5%BE%A1%E7%B8%A3%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89585141

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