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楠神社ではいただけません
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楠神社のお参りの記録(1回目)
三重県長島駅

投稿日:2024年04月19日(金)
参拝:2024年3月吉日
🌼楠神社(くすじんじゃ)⛩️ に参拝させて頂きました🙏 🍁愛西市から今回の目的地楠神社までは県道168号線を南下、愛知県県境を越え三重県に。🌸堤防右側の「西川➡」と「輪中の郷」の看板から堤防を下りて西川地内の楠神社までは移動時間約5分程。☘️境内の楠神社由緒は「神社の地はもともと西川八幡社の地であり、この西川八幡社が長島北部地区で最古の神社です。🌺天正16年(1588年・豊臣秀吉の時代)平方村(長島町平方)の農夫・西村孫左衛門が篠橋川(現在の木曽川)で漁をしていたところ、魚は取れずに青紅石がかかり邪魔になるので川に投げ捨てて網を入れると青紅石が又掛かかり、もう一度同じことが起きたので、不審に思ってその石を堤に置いて、改めて網を入れたところ大漁であったと伝えられています。🍁その夜夢のお告に『青紅石を西川村(長島町西川)の産土神として祀り、八幡宮と崇め申すべし』とあったので、西川村の長の彦左衛門に相談し、西川村の長も同じ夢を見て、それで西川の地蔵屋敷に社祠を造営して、その石を西川村の産土神(生まれた土地の神)とし八幡宮としたという伝説が伝えられています。🌼社の東八町路はクスノキの枝が四方数町にわたって覆っていた。その森の中に八幡社が鎮座していました。そのクスノキの大樹を文禄慶長(1592年)の豊臣秀吉の朝鮮征伐にこれを伐り、軍艦阿宝丸を建造したといわれています。現在も切株が成長し、拝殿の奥、本殿の東側に切株から生えたひこばが大樹となって残っています。🌸後の『村』の基となっている。1592年頃に切られた、クスノキがその当時すでに相当の巨木であったこと、また当地が『地蔵屋敷』と称されていたことを考えると、青紅石が祀られる以前から、この地に何らかの寺社のようなものがあったかもしれないが記録が存在しないため不明である。
🌼明治11年(1878年) 編成法により、西川村・新所村・松之木村・杉江村・上坂手村・下阪手村・千倉村が『楠村』となり、かっての村は大字となり、明治40年(1907年)8月三重県令の一村一社に合祀の通達により、明治42年5月15日に神社7社と境内社17社を、西川八幡社の社地に合祀し、楠神社となりました。

👣所在地 : 三重県桑名市長島町西川2196

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楠神社(三重県)
  タコ🐙ライス 『鐵屋 くろがねや』
楠神社(三重県)
  御朱印 楠神社(くすじんじゃ)⛩️
楠神社(三重県)
  楠神社(くすじんじゃ)⛩️
楠神社(三重県)
楠神社(三重県)
楠神社(三重県)
楠神社(三重県)
楠神社(三重県)
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  楠神社(くすじんじゃ)⛩️
楠神社(三重県)
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