いせのくに してんのうじ|曹洞宗|塔世山
伊勢の国 四天王寺公式三重県 津駅
参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時
いせのくに してんのうじ|曹洞宗|塔世山
参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺では、
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | ■お書き入れ可能な御朱印
■書き置きのみ(季節ごとに変更)
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郵送対応 | ■郵送対応ありの御朱印
■お申し込みはこちら
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御朱印帳 | |||
駐車場 | あり
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聖徳太子1400年の大遠忌(お亡くなりになった節目の年)に、
「和の精神」の御縁づくりとして、聖徳太子1400年限定御朱印をはじめました。
参拝された方には御朱印帳に直接お書き入れします。
境内には「聖徳太子像」や「藤堂高虎像」、「織田信長の母のお墓」もありますので、ぜひお参りください。
また、参拝できない方へは祈りを込めた御朱印を郵送でお送りいたします。
塔世山 四天王寺 住職 倉島隆行
伊勢の国 四天王寺の寺宝
聖徳太子像
聖徳太子16才の像。
父である用明天皇の病気平癒を願う様子を描いたものです。
制作:鎌倉時代
技法:絹本着色
大きさ:112×39.5cm
禅体験
四天王寺では禅寺の雰囲気を味わえる禅体験コースに参加できます。
椅子坐禅も可能であり、気軽に参加できる内容です。
参加費
1人 1000円
※お抹茶、お菓子代込み
予約
059-228-6797 に電話で要予約
※体験できない日もあります
内容
説明(10分)→坐禅(40分)→休憩(10分)→茶話会(20分)→法話(10分)
伊勢の国 四天王寺は聖徳太子によって建立されたと伝わるお寺です。
境内からは奈良時代の瓦が出土しており、1000年以上もの歴史を有します。
【飛鳥時代】聖徳太子により建立される
6世紀ごろ、朝廷の有力者たちは仏教の受け入れをめぐって対立していました。
大陸から伝わってきた仏教の受け入れに賛成する蘇我氏と、日本古来の神さまをまつり仏教の受け入れに反対する物部氏の争いは激化し、軍を率いて戦うようになります。
蘇我氏は苦戦を強いられ、3度退却します。
名称 | 伊勢の国 四天王寺 |
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読み方 | いせのくに してんのうじ |
通称 | 塔世山四天王寺 、三重四天王寺 |
参拝時間 | 参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 本堂横 |
御朱印 | あり 聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺では、
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ可能な御朱印
■書き置きのみ(季節ごとに変更)
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御朱印の郵送対応 | あり ■郵送対応ありの御朱印
■お申し込みはこちら
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御朱印帳 | あり |
電話番号 | 059-228-6797 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://sitennoji.net |
絵馬 | あり |
SNS |
西国薬師四十九霊場 第34番 | 御真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
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伊勢の津七福神 第7番 | 御本尊:大黒天 |
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 薬師如来 |
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山号 | 塔世山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 593年 |
開山・開基 | 聖徳太子 |
文化財 | 聖徳太子像(重要文化財)
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ご由緒 | 1000年の歴史 -聖徳太子建立-
用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。
近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏祈祷結婚式仏像御朱印重要文化財人形供養有名人のお墓札所・七福神巡り除夜の鐘 |
Youtube | |
感染症対策内容 | ・感染拡大防止のため、アルコール消毒を設置しております。
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概要 | 四天王寺(してんのうじ)は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。 |
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歴史 | 沿革[編集] 推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられている。 戦火で荒廃と復興を繰り返していたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓がある。その他、藤堂高虎夫人(一色氏)、富田知信の子千代丸、斎藤拙堂など津にゆかりのある人物の墓がある。 昭和20年(1945年)7月28日、空襲で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建された[1]。 ^ 三重県ホームページ(続・発見!三重の歴史) |
引用元情報 | 「四天王寺 (津市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%20%28%E6%B4%A5%E5%B8%82%29&oldid=87072043 |
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