おおいじんじゃ
大井神社のお参りの記録一覧
観光客が行き交う嵐山渡月橋側にひっそりと佇む神社。
ご由来には「延喜式内神社」の記載があります🙂🙏🏻
野宮神社の旧社殿を移したもので商売繁盛・治水の神様です🙂🙏🏻
ご由来を見ると延喜式内神社と書かれていました🙂🙏🏻🙏🏻
お店の方々は参拝してるのかな?🙂
嵐山の道沿いに鳥居があり、
なんじゃろな?と周りを見ると細い通路の先に赤い鳥居が見えました
野宮神社の摂社だそう
桂川沿い、お土産やさんの通りにポツンとある鳥居
参道は、レンタルサイクル置き場になってる?
その細い参道を進むとたどり着くのだが、奥まった場所にあるためか
喫煙ゾーンみたいな感じになってて
ヤニコイ人等がいた
なんか、罰当たり、残念。
そんな中でも、○○ちゃんと結ばれますように!とお願いする、わい
嵐山の渡月橋近くにひっそりと立つ大井神社。松尾大社創建で山城国トップの豪族、秦氏が桂川の治水のために祀ったとされています。もうぱっと見はどこにあるのかわからない、自己主張の控えめな神社ですね🤔
《一の鳥居と社号標》
社名は桂川の旧名"大堰川(おおいがわ)"に由来します。渡月橋にも書かれていますね🌊
《表参道》
《駐輪場》
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
この由緒書きには延喜式内社とかかれていますが、『延喜式』神名帳記載の大井神社は乙訓郡鎮座として書かれています。当然、当社は松尾大社と同じく葛野郡であるため、一般的には論社とされています。
《社殿と鳥居》
また、他の論社には綾戸国中神社の綾戸社がかつて"大井社"として大堰川の祓神として祀られていたとされています。大堰川の沿岸にあった点は共通していることから無関係ではないでしょう。
このことから、私は秦氏が嵐山を開拓した際、大堰川の治水のために乙訓郡の大井神社を勧請し、後世に元宮が廃れて国中神社に合祀され、分社である当社が残ったのではないかと考えています。
《本殿》
野宮神社の旧本殿を譲り受けて改修されています。
…なんか時空歪んでね?
《末社》
《桂川》
今の京都の川は地形的に氾濫が起きにくいらしいですが、昔は暴れ川だったのかもしれませんね。
大堰川の守り神「大井神社」
京都r29沿い。渡月橋を渡ってすぐの土産物店の間の細い路地を抜けた先にある。
駐車場なし。
r29沿いに小ぶりな一の鳥居があり、自転車やバイクを停められた細い路地を抜け(横は朱色の玉垣有)、奥に朱色の鳥居、屋根付き本殿。
どこから神社の敷地かわからん小さな神社。
この小さな規模だが歴史はかなり古く、延喜式神名帳にも載ってるぐらい古い、なので平安前期頃にはすでにあるレベル。
路地裏って感じなので参拝者は全くおらず静かです。
由緒書きの看板に「大井神社宮司」ってお名前が書かれてるが社務所はなさそうだ。
正面から
拝殿裏から
拝殿横から
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