ろくおんじ (きんかくじ)|臨済宗相国寺派|北山
鹿苑寺(金閣寺)のお参りの記録一覧(4ページ目)
修学旅行の生徒が沢山居られました。御朱印帳を購入しました😉御朱印も頂きました😃金閣寺は2回目ですが、御朱印を初めてからは初めてのお参りです。
購入した御朱印帳です😉
直書き御朱印です。
案内図。
金閣寺の入り口です。
綺麗です😆
何か分かりませんでした?
鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)
観光客や修学旅行生も散見されました。
初めての訪問ではないのですが、天気の良さも相まって金閣の美しさを再認識できました。
舎利殿 金閣
入口
案内図
参道
世界遺産
ご由緒
参道
入場券代わりの御札
パンフレット
陸舟の松
「京の三松」のひとつの名松
金閣の各層の様子
舎利殿 金閣
舎利殿 金閣
不動堂
御朱印(300*2)
左)石不動尊、右)舎利殿
本日から外国人の入国が緩和されるようです、ようやく日常が戻りつつあるのかなぁとまだ実感はありませんが期待は膨らみます。
同時にコロナ禍で2度訪れた金閣寺の人の少なさは二度と経験することは無いことを願いながら貴重な経験に感謝。
訪れたのが拝観時間ギリギリだったこともあり、ほぼ貸し切り状態でした✨
金閣寺は、正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。臨済宗相国寺派の塔頭寺院のひとつで、創設者である足利義満の法号、鹿苑院殿(ろくおんいんどの)から名付けられました。
元々、鎌倉時代に西園寺公経が所有していた土地に建立された西園寺・北山第という別荘が始まりとされています。鎌倉幕府の倒幕後、西園寺家は権力を失い土地を手放すこととなりました。室町時代に入り、荒廃していたこの場所を室町幕府第3代将軍であった足利義満が譲り受け、1397年(応永4年)に山荘北山殿が造営されることとなりました。これが金閣寺となります。
1950年(昭和25年)には、 当時見習い僧侶であった大学生によって放火され、造営当時の建物は全焼 してしまいました。この事件は社会を揺るがし、 三島由紀夫や水上勉などの作家によって事件を題材にした長編小説が執筆 されました。焼失以前に計画されていた解体修理の設計図を利用し、1955年(昭和30年)に 創建当時に近い状態で再建 され、象徴的な全面金箔貼りの金閣寺が蘇りました。
1994年(平成6年)には 「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録 されました。
妻「どこかに行こうよ~」(*´▽`*)
私「寒いのに…」(´・ω・`)
妻「京都行こうよ~」
ということで鹿苑寺へ。あまりにもメジャーすぎてこれまでお参りしてこなかったお寺さん。
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれていますね。
これまで皆さんの投稿を拝見して、自分も見た気分になっていたこの角度。
舎利殿「金閣」
妻「雪が残っててほしかった…」(´・ω・`)
私「大雪降ってた真っ只中に来ないとね~」
さらにバスに乗って鹿苑寺(金閣寺)様へ🚌
何年ぶりのお参りか忘れるほどの久しぶり(笑)
この日は朝から雪が降ったみたいで午前中に来ていれば雪の金閣寺が見れたのですが午後だったのでほとんど融けてしまって残念😅かろうじて4枚目の写真に雪が見れますね❄
これも門柱❓
五用心
肝に命じます
定番の角度から
うっすら雪が残ってました❄
龍門の瀧と鯉魚石
修学旅行で写真撮ったのを思い出しました😁
京都府のおすすめ2選💠
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