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禅定寺ではいただけません
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ぜんじょうじ

禅定寺のお参りの記録(1回目)
京都府宇治(京阪)駅

投稿日:2023年10月01日(日)
参拝:2023年9月吉日
🌼禅定寺(ぜんじょうじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地[1]にある曹洞宗の寺院であり、山号は補陀洛山、院号は観音妙智院。開山は平崇。本尊は十一面観音です。🍒宇治田原町の郊外、滋賀県境に近い位置にある。近世以降は曹洞宗の禅寺となっているが、元は東大寺の末寺であり、平等院や藤原摂関家ともゆかりの深い寺院で、本尊十一面観音立像をはじめ、平安時代にさかのぼる仏像群を有します。☘️禅定寺は、宇治方面から宇治川の支流田原川に沿って近江(滋賀県)の石山方面へと向かう道沿い、滋賀県境に近い山里に位置する。この地域は平安時代中期以前には久和利郷と呼ばれ、禅定寺の前身にあたる桑在寺(くわりじ)という寺があったといいます。🌺寺に伝わる『禅定寺造営年次目録』によれば、この寺は東大寺の別当(寺を統括する最高位の僧)などを務めた僧・平崇によって創建されたものだそうです。☘️平崇は藤原兼家(藤原道長の父、関白、太政大臣)の帰依を受けて永延元年(987年)より造営を開始、正暦2年(991年)に本堂を建て始め、完成したのは長徳元年(995年)であるという(この間、正暦元年・990年には兼家が没しています。🍒それから数年後の長保3年(1001年)の日付をもつ「禅定寺領田畠流記帳」によると、禅定寺は地元の田原郷に一千町歩の杣山や田畑を有し、その他の地方にも寺領を有していました。この禅定寺領は延久元年(1071年)、平等院に寄進され、禅定寺は平等院の末寺となりました(それ以前は東大寺に平崇が建てた正法院の末)。🌹禅定寺は平安時代を通じて藤原道長、藤原頼通(道長の子、平等院の建立者)らの貴族の帰依を受け、広大な寺領を背景に栄えました。🌱寺は戦国時代には衰微しましたが、近世に入り、延宝8年(1680年)に加賀・大乗寺(金沢市)の中興である月舟宗胡が入寺し、加賀藩老本多家の援助を得て再興している。これ以来宗旨を曹洞宗に改めて現代に至っています。

🍁所在地 : 京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺(京都府)
禅定寺の本殿

すてき

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