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ぜんらくじ

善楽寺のお参りの記録(1回目)
高知県薊野駅

投稿日:2024年05月09日(木)
参拝:2024年5月吉日
四国八十八か所巡りでおまいりしました。土佐神社のすぐお隣にあります。
四国を巡っていて思うのですが 境内の広さには違いがあり また建物の新しさにも違いがあるのですが 巡礼寺院ということで贔屓目に見ているからでしょうか どこもとても立派な寺院だと感じます。
本堂でも大師堂でも 読経される方がいらっしゃって 邪魔をしているようで申し訳なかったです。

山号は百々山 院号は東明院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)大同5年(810年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:人多くたち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな
でした。

由緒については
寺伝によれば 大同5年(810年)空海(弘法大師)が高鴨大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として 神宮寺とともに創建したといわれている。
また 空海はこの辺りの森厳幽遠なる霊域を気に入り渓谷が百谷あれば入定の地に定めようと谷々を調べたが99谷で足りない1つを当寺を開くことにより1山補い 山号を百々山と名付けたと伝えられている。
応仁年間に兵火で焼失したが 土佐藩2代藩主山内忠義の庇護を受けて栄えた。
明治初期の神仏分離により廃寺となるが 仁王像は24番札所最御崎寺に移され 札所権と神宮寺の本尊であった阿弥陀如来坐像(重要文化財)と善楽寺の弘法大師像は29番札所国分寺に移され 国分寺で納経を代行するようになった。
なお 護摩堂不動明王像の所在はそれ以降不明となっている。
1875年(明治8年)当地より南西5.5 kmの所に再興された安楽寺に その阿弥陀如来像が移され30番札所となった。
神宮寺は再興されず 善楽寺は1930年(昭和5年)に埼玉県与野町(現さいたま市中央区)にあった東明院をこの地に移転し また国分寺に預けられていた弘法大師像を移し 本尊は有縁の江戸期作の阿弥陀如来坐像を迎えて30番札所東明院善楽寺として再興したが 30番札所が再び2箇所並立することになった。
1994年(平成6年)1月1日 札所は善楽寺 安楽寺は奥の院とすることで最終決着した。
とありました。
善楽寺(高知県)
山門はありませんでした
善楽寺(高知県)
石柱は珍しく赤字でした
善楽寺(高知県)
こちらも
善楽寺(高知県)
十一面観世音菩薩
善楽寺(高知県)
こちらも手水は龍でした
善楽寺(高知県)
アニメがコラボしていました 縁起
善楽寺(高知県)
本殿
善楽寺(高知県)
善楽寺(高知県)
内陣
善楽寺(高知県)
仏足跡
善楽寺(高知県)
不動明王 ですよねきっと
善楽寺(高知県)
大師堂
善楽寺(高知県)
修行大師像
善楽寺(高知県)
梅見地蔵 梅は造花です
善楽寺(高知県)
枕カバーお守りがあるそうです
善楽寺(高知県)
首から上の病気にご利益があるそうです
善楽寺(高知県)
地蔵堂
善楽寺(高知県)
アジサイが並べられていました
善楽寺(高知県)
納経所へ案内するお地蔵様
善楽寺(高知県)
トイレには神様がいるんですよ 烏芻沙摩明王

すてき

御朱印

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