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ぜんらくじ|真言宗豊山派百々山

善楽寺
公式高知県 薊野駅

御朱印について
御朱印
あり

数量・期間限定
〜薫る季節の御朱印〜
2ヶ月毎にデザインが変わる書き置きタイプの御朱印(直書きの通常の朱印もございます)
こちらは香りのものも付いてきます。
住職が調合し寺方で手作りしております。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内 普通20台・大型4台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第30番

善楽寺について

善楽寺は人の手で潰され、人の祈りのこころで復活を果たしたお寺です。

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三十番善楽寺は
堂宇伽藍も比較的新しくコンパクトなお寺ですが、

元々今の敷地より約三倍の面積を有し
土佐神社別当寺として、また厄除け祈祷所として、興隆を極めていたそうです。

全てが一変したのは、
明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。

土佐一宮の別当寺であるがゆえに
法難の危機は激しく、

夜中に火をかけられ、
土地も全て失い、

昨日まであったお参りの人達の姿も
笑い声も、読経の響きも
跡形もなく奪われてしまいました。

※本尊さま、厄除け大師さまは、
一部の信仰のある村民によって
直前で29番国分寺さまへ避難されたそうです。

その後、
当時の一宮の村長さん達を始め信仰ある皆さまが約60年もの月日をかけて
「札所を元のこの地へ!」
と尽力をつくされ、明治まで拝まれ続けてきた本尊掛仏さまと厄除大師さまを連れ戻し、善楽寺は復活を果たしました。

善楽寺は
四国霊場の中で他に類を見ないほど数々の法難を乗り越えてきた『有り難し』(…滅多にない、奇跡のよう)な霊場です。

ご参拝の皆様
写真映えも趣深さも当山には少ないですが、この新しい堂宇伽藍の中にどれ程の祈りへのこころが込められているのかを、ぜひ知ってください。

そして、形を失っても受け継がれてきた法灯護持への熱い思いと祈りのこころを感じていただければと心より願っております。

歴史

高知城へは約6㎞、JR高知駅まで約4㎞というこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。
本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。また、境内には「子安地蔵堂」があり、弘法大師作といわれるやさしいお顔の地蔵尊が祀られている。難産で苦しんでいる妊婦を、大師が祈祷し安産させたという伝説があり、安産や子宝祈願にご利益があるといわれる。さらに水子供養の祈願にも参詣する人が多い。
本坊前は開放的な雰囲気が漂う。土佐一ノ宮の別当寺として栄えた古刹である。

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善楽寺の基本情報

住所高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
行き方

土佐一宮駅下車 (1.5km)
とさでん交通 「一宮東門」下車 (0.2km)
29【国分寺】より
(自家用車)約30分 約11km
(徒歩)約1時間40分 約7km
31【竹林寺】より
(自家用車)約30分 約10km
(徒歩)約2時間 約7.5km

アクセスを詳しく見る
名称善楽寺
読み方ぜんらくじ
参拝時間

7:00~17:00

参拝にかかる時間

約20分

トイレ境内駐車場の近く
御朱印あり

数量・期間限定
〜薫る季節の御朱印〜
2ヶ月毎にデザインが変わる書き置きタイプの御朱印(直書きの通常の朱印もございます)
こちらは香りのものも付いてきます。
住職が調合し寺方で手作りしております。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号088-846-4141
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.zenrakuji.sakura.ne.jp/
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詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号百々山
院号東明院
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代大同年間(806〜810)
開山・開基弘法大師
札所など

四国八十八箇所第30番

ご由緒

高知城へは約6㎞、JR高知駅まで約4㎞というこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。
本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。また、境内には「子安地蔵堂」があり、弘法大師作といわれるやさしいお顔の地蔵尊が祀られている。難産で苦しんでいる妊婦を、大師が祈祷し安産させたという伝説があり、安産や子宝祈願にご利益があるといわれる。さらに水子供養の祈願にも参詣する人が多い。
本坊前は開放的な雰囲気が漂う。土佐一ノ宮の別当寺として栄えた古刹である。

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