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さがみのくにそうじゃろくしょじんじゃ

相模国総社六所神社の御由緒・歴史
神奈川県 二宮駅

ご祭神櫛稲田姫命,素盞嗚命,大国主命
一之宮寒川神社御祭神
二之宮川勾神社御祭神
三之宮比々多神社御祭神
四之宮前鳥神社御祭神
平塚八幡宮御祭神
ご由緒

第十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ、櫛稲田姫命を主祭神とし御創建、『柳田大神』と称されました。
 大化改新後、相模国の有力大社五神社の分霊を併せ祀る『相模国総社』となり、『六所神社』と称されるようになりました。
 鎌倉時代以降、源頼朝公の崇敬誠に篤く、治承四年富士川の合戦の戦勝祈願を始め、奥方の北条政子の安産祈願がなされました。
 戦国大名の小田原北条家より六十五貫の『相州六所領』を賜り、後に、徳川家康も五十石(相模国では2番目の大きさ)の御朱印地を寄進しております。

歴史
歴史[編集] 崇神天皇の時代、出雲国(現在の島根県東部)より移住しこの地を開墾した人々は、この地を柳田郷と名附け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊を祀って「柳田大明神」と称し、現在地より北西1kmの石上台(伊勢神台)に社殿を築いた。『六所明神之縁起』[注 1]によれば、創建の年は崇神天皇甲申年[注 2]と伝えられる。 養老2年(718年)元正天皇より国司に対し、勅を以って当社を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、これにより同年閏4月8日[注 3]に現在地へ遷座した。平安時代には国府に近い当社に国内有力5社の祭神の分霊を勧請し、国府六所宮とも称されるよう...Wikipediaで続きを読む
引用元情報六所神社 (大磯町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AD%E6%89%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%A4%A7%E7%A3%AF%E7%94%BA%29&oldid=99300749

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