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じょうかんざんごくらくじ|臨済宗円覚寺派上関山

上関山 極楽寺の境内
公式神奈川県 富士フィルム前駅

境内詳細情報

本堂(外観)

開創時のことは不明。天正時代(1573年~1593年)に松田尾張守憲秀により復興。その後、幾度かの火災や地震に見舞われ、1926年、現在の本堂が建立されました。

本堂(内観)

極楽寺の本尊(寺の中央に安置されるもの)は釈迦如来坐像です。

釈迦如来坐像(ご本尊)

1717年、鎌倉の仏師、後藤政義により造立。極楽寺の本尊(寺の中央に安置されるもの)は釈迦如来坐像です。釈迦如来とは仏教の開祖である釈迦を仏として敬う呼び名です。釈迦は古代インドにあった小国の王子で妻と子もいた実在の人物です。釈迦がまだ太子の頃、王城の東西南北4つの門から郊外に出かけ、それぞれの門外で老人、病人、死者、修行者に出会いました。老い、病、死という人生の苦しみを痛感すると同時に世俗の苦を離れた修行者の姿に感銘を受け、29歳で出家しました。その後6年間に厳しい修行を積み、35歳で悟りを開いたといわれています。釈迦如来坐像はその釈迦が悟りを得た姿を表しています。

地蔵菩薩半跏像

江戸時代造立。大地が全ての命を育む力を蔵するように、大きな慈悲の心で苦悩する人々を包み込んで救うといわれています。半跏とは両足を組み合わせず、片足をくずす、あるいは下した坐法のことです。本堂内にあります極楽寺の納骨室をお守りしています。

観音菩薩立像

江戸時代造立。観音とは「音を観る」と書きます。「見聞一致」という言葉があるように「見(観)る」のと「聞く」のは同じという教えがあります。観音菩薩は苦しみの声を聞いて、生きとし生けるものすべて(衆生)を救済するといわれています。

薬師如来立像

江戸時代造立。死後ではなく現世に安らぎを与えてくれると言われ、疾病を治癒し、困窮や苦悩を取り除き、衣食住を満たすとされています。

季高法雲像 

江戸時代造立。極楽寺2世季高禅師の木像です。

開山堂

2001年10月22日建立。極楽寺の開山、仏満禅師の木像が祀られています。

開山(仏満禅師)木像

極楽寺の開山、仏満禅師の木像です。この木像は頭部と体部の制作年代が異なり、体部はその造形から南北朝時代の作、頭部は江戸時代末~明治時代の作と推定されます。

山門

仏教寺院では仏殿前の門を山門と呼びます。現山門は、21世瑤堂宗環代に建造されたものです。山門を正面に右手前には「草も木も色おしなべて風かほる 五世六苑桃僊」という句碑が建っています。これは俳人として高名であった19世象外法全により詠まれた句です。五世六苑桃僊とは象外法全の俳号(俳人として用いた名)です。

参道

本堂へ続く参道は両脇をツツジが飾ります。また10メートルを超える桜が高くそびえ、春はツツジと桜のピンク色で華やかに彩られます。夏は瑞々しい緑色に覆われ蝉が賑やかに夏の音色を奏でます。初冬の肌寒さを感じる頃には、もみじや銀杏が赤や黄色に色づきます。そして寒さ厳しい冬の静寂さの中で、参道は禅寺らしい荘厳たる雰囲気に包まれます。

六地蔵、三界万霊碑

参道の突き当りにある石段の手前左には、六地蔵菩薩像が2組、前後で並んでいます。人は死後に六道という6つの世界のいずれかに生まれ変わるとされています。六道とは地獄道(生前の罪により罰を受ける世界)、餓鬼道(飢えと渇きの世界)、畜生道(人以外の動物の世界)、修羅道(憎しみと争いの世界)人間道(人の世界)、天道(人を超えた存在であるが、まだなお悟りに達しない天人の世界)の6つです。それぞれの世界で地蔵菩薩は人々を救済するといわれています。また同場所にある「三界万霊」と彫られた石碑は、3つの世界に宿るすべての霊を供養するために建てられたものです。三界とは欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の3つの世界を表します。

天神堂(菅霊堂)

現在の天神堂は、23世智閑宗勝の代に再建されたものです。堂内には古くから極楽寺に現存する菅原道真の小さな木像が祀られています。学問、書、詩文にすぐれた菅原道真は天神様という学問の神として崇められています。合格祈願、学業成就にご利益があるお堂です。

井戸跡

太平洋戦争下に都会から極楽寺に疎開してきた人々により掘られた井戸です。現在は埋められていますが、戦争を忘れないための遺跡として残されています。

俳禅碑

山門前の石碑に刻まれた俳句を詠んだ俳人、五世六苑桃僊(19世象外法全)の功績を讃えて、1903年7月に建てられた石碑です。象外法全は俳句を好み、その奥を究め、俳句をもって難しい禅理を人々に論じました。

十一面観世音菩薩立像

1987年9月、檀信徒により寄進されました。十一面観世音菩薩は頭上に11の顔を持ち、全方向を見守っています。現世での10の利益(十種勝利)と来世での4の果報(四種功徳)をもたらすといわれています。

松田尾張守憲秀の墓

裏山の高台に松田尾張守憲秀の墓があります。松田尾張守憲秀は天正時代(1573年~1593年)に老朽化した極楽寺を再建した人物です。松田家は北条早雲の頃から代々家老を務め、憲秀は小田原北条家(後北条家)の重臣として活躍しました。しかし豊臣秀吉による小田原攻めの際、主人の北条氏政を裏切り、1590年に小田原城は落城。戦が長引くことで最も被害を受ける農民を救うべく、いち早く戦を終わらせるために憲秀は苦渋の決断をしたと伝えられています。松田尾張守憲秀の墓の横には、開山塔があります。五輪塔の空輪(最も主流の墓塔形式が五輪塔。その一番上の石が空輪)を円形にして、そこに開山の遺偈を彫った変わった塔です。

編集:極楽寺公式
最終更新: 2023年06月30日(金)

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