ひがしかなさじんじゃ
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赤い鳥居をくぐり、狛犬に挨拶をすると、右手は山門、左手は社務所に別れています。
社務所で御朱印をお預けしてからお詣りに行こうと社務所に迎いました。が、どなたもおいでになりませんでしたが、なんと、書き置きが無料で置いてありました。
ありがたく頂き、その分お賽銭箱に入れさせていただきました。
お賽銭箱の社紋
なんだか、気になりました。
一の鳥居から随分離れた所にありました。
山の始まりにあるようで、どうやら参道からは階段で昇る予感がしました。
参道を歩くと斜め上に山門の屋根が見えました。
やはり、階段だぁ・・
山門
鐘楼
針供養塔
足が・・( ノД`)…
拝殿
近津神社に向かう途中、大鳥居の脇を通り、なぜか気になって、帰りに参拝致しました。
今日は階段上りたくないなーと思っていたはずですが、階段が厳しい神社を選んでしまいました。
ホトカミさん同様、紫陽花祭りやってますね🎵
大鳥居と案内板
二の鳥居?
社号標になります。
神域の案内板
入口付近
由緒書きになります。
手水舎
紫陽花祭りですね🎵ホトカミさんと一緒😄
こから階段が続きます。
仁王門
仁王門様
仁王門様
更に階段で上へ
田楽殿
田楽殿の案内板
更に階段で上へ
境内社
境内社
境内社(針魂、裁縫の神様)
梵鐘
拝殿
社殿の案内板
扁額になります。
本殿になります。
由緒書きの裏側に紫陽花が咲いていました。まだ、早いみたいでしたが。
歴史
延暦二十五年(八〇六年三月(五月に大同と改元)、 平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉神社 (山 「王権現)の祭神の分霊を祀って、国家安泰・五穀豊穣の 祈願所とした。翌大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。仁明天皇の承和年間(八三四年~八四八年)唐に渡って帰国した 慈覚大師(円仁)が、嘉祥二年(八四九年)諸国巡拝の際当山に登った。山上からのながめが比叡山によく似ているので、大師は二十一社の末社を移して祀り、なお羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
祭礼は、二月十一日の嵐除祭と、十二月十三日の金砂祭(かなさまち)と七十二年に一度執行される大祭礼 (大田楽)とである。
(神社にある案内より)
名称 | 東金砂神社 |
---|---|
読み方 | ひがしかなさじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0294-85-1638 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 大己貴命,少彦名命 |
---|---|
ご由緒 | 延暦二十五年(八〇六年三月(五月に大同と改元)、 平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉神社 (山 「王権現)の祭神の分霊を祀って、国家安泰・五穀豊穣の 祈願所とした。翌大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。仁明天皇の承和年間(八三四年~八四八年)唐に渡って帰国した 慈覚大師(円仁)が、嘉祥二年(八四九年)諸国巡拝の際当山に登った。山上からのながめが比叡山によく似ているので、大師は二十一社の末社を移して祀り、なお羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
(神社にある案内より) |
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