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とよかわいなりさっぽろべついん|曹洞宗

豊川稲荷札幌別院(玉宝禅寺)の御由緒・歴史
北海道 豊水すすきの駅

ご本尊《寺院本尊》千手観音
《鎮守》豊川ダ枳尼真天
創建時代1898年(明治31年)
ご由緒

愛知県豊川市曹洞宗妙厳寺は、ご本尊に、寒巌義尹禅師伝来の千手観音を安置し、鎮守として禅師御感見の善神「豊川だ枳尼真天」を祀る。
 この善神は通称「豊川稲荷」と呼ばれ、その起こりは、七百数十年の昔、文永元年、寒巌禅師入宗求法をおえ、帰国の為ご乗船の際、海上にて忽ち霊神現じ、妙相端麗にして稲穂を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨るお姿を御神示あり、禅師は深く感動せられ、帰国後示現のお姿を自ら刻み、守護神として祀られる。
 これより代々相伝せられ、東海義易禅師により豊川の地に、円福山妙厳寺を開創と共に鎮座し、東海地方の名刹となる。因みに「豊川だ枳尼真天」現じ給える時の御神示の中に真言あり「オン尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶」
と申す。 
 之を要約すれば、“正しい戒力により、悪事災難を除き、福徳智慧を得て苦を抜いて楽となし、悲しみ転じて喜びとなすことが必ず成就する”という意味である。
 その分霊は、全国至る所に祀られており、当院は明治三十一年に別院として開創され、以来幾多の霊験を現じ今日に至る。(稲荷縁日毎月二十二日)
 尚、一階には、清田区北野にある「曹洞宗 玉宝禅寺」の祖院として、仏事全般を司っている。

歴史
沿革[編集] 祖院は札幌市の歓楽街・薄野の中心部のやや南側に位置する。1871年に遊廓が設置されて以来、薄野は商業地・繁華街として発展したが、商売繁盛を司る稲荷神への信仰は早くから存在し、1880年代初頭には既に無住の稲荷堂が建てられたという[1]。その後1894年に地元の酒造業者・波多野与三郎によって、豊川稲荷の分霊を迎えようという計画が持ち上がり、現在の札幌市中央区南3条西4丁目に設立寺務所が設けられ、募金活動が開始された[1][2][3]。波多野が花柳界と繋がりが深かったこともあり、発起人には料亭・芝居小屋・遊郭・見番(芸妓の登録組織)などの関係者が数多く名を連ねた[1][2]。1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報豊川稲荷札幌別院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%88%A5%E9%99%A2&oldid=92646099

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