ぎふぜんこうじ|真言宗醍醐派|愛護山
岐阜善光寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
信長公の時代、信濃の善光寺のご本尊さまがこの地に祀られていたそうです。真言宗醍醐派の寺院。ということは昨日の国分寺(高野山真言宗準別格本山)から平成〜令和に渡って弘法大師さまとご一緒したことになりますね。嬉しい。受付に「御朱印はスタンプ集めではありませんので日付は記入していません」との張り紙が。令和初日の日付を頂けなかったのは残念でしたが、書いて下さった方がとてもにこやかで丁寧に手渡して下さったので、こちらはこういう信念を持って対応していらっしゃるんだと清々しい気持ちになりました。笑顔って大切ですね。
手水舎
水掛・願掛不動尊
水子・子育て地蔵尊
大黒天
弘法堂
末光稲荷大神
岐阜駅で号外が配られていました。
伊奈波神社の隣にあります。伊奈波神社には何度か行きましたがこちらは初めてです。
もう夕暮れで帰宅時間が迫っていたので少しだけ見せてもらいました。
とても立派なお寺です。
遠くからでないとカメラに収まりきらないくらい立派。
手水舎・・・まっ白すぎる(笑)
<北向水掛不動尊>北向きにお祀りされているお不動様。救われしゃもじがたくさん奉納されています。
賽銭箱の前に立って上を見上げるとこんな感じ。
詳しくないのでわかりませんが、織田家、徳川家、豊臣家の関係の家紋ですか?
すごそうなことは分かるけど、何がすごいかわからないのが残念(笑)
<末光稲荷>岐阜善光寺の守り神として大切にされているそうです。
#善光寺安乗院 #岐阜善光寺
ご本尊という表現は見ないが、アミダ三尊仏を祀る。
#阿弥陀三尊仏 #善光寺如来
写真の御朱印の墨書きは善光寺如来とある。パンフによれば、善光寺如来はアミダ三尊仏の通称。
僕は前年に初めての善光寺(長野県長野市)詣でを果たしたのだが、それを経てもなお、善光寺如来という言葉の意味を勘違いしていた。単に善光寺に敬意を払って、あちらのアミダ如来をこう呼んでいるだけだと思っていた。
そのような側面ももしかしたら少しはあるのかもしれないが、本質を衝いていない。どちらかといえば、信仰よりも美術史的な意味合いの方が強いようだ。
善光寺如来は、アミダ如来、観音菩薩、勢至菩薩の3尊が1つの光背の前に立つ形式をいう。ここ岐阜善光寺のパンフにも書いてある。講学的には善光寺式三尊像と称するらしい。
なお、三尊像が1つの光背を共有する作例自体は他にもある。一光三尊(いっこうさんぞん)といって、古くは3~6世紀ごろの中国に見られ、日本では飛鳥時代に多いとのことだ。
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