いさすみじんじゃ
伊佐須美神社のお参りの記録一覧(5ページ目)
福寿の文字は御朱印帳を購入した時にだけしるされるようです。あの有名な御朱印を書きながら色々と気さくに話をしてくださいます。
参道にお守りやおみくじなど沢山売ってますが、普通のおばさんと思われる方たちが、お守りいかがですか?と大きな声で呼び込みをされているのにびっくりしました。
伊佐須美神社の御朱印帳をいただくと『福寿』と書いていただけます。
優しい御朱印です。
伊佐須美神社オリジナル御朱印帳です。
オリジナル御朱印帳をいただくと書いていただけます。
優しい御朱印です。
岩代國一之宮 会津総鎮守の神社です。
会津総鎮守です。
車での帰り道、ヒヤッとする場面がありましたが何事もなく護っていただいたと感じました。
交通安全の社もあるので、お車の方は是非手を合わせてお帰りください。
あやめの時期にまた行きたいです。
七夕飾りと風鈴がすずやかでした
御朱印は書き置きもあり
2個でひとつのお守りです。境内でご神徳をいただき、玄関の両脇に吊るし常に出入りする毎にパワーをいただけます。
#伊佐須美神社
ご祭神はイザナギの尊、イザナミの尊、オオヒコの命、タケヌナカワワケの命。
#大毘古命
日本書紀によれば、”安倍のおみ””越の国造”、”伊賀のおみ”などの氏族の祖神。かつて阿部神社と称した備後護国神社(広島県福山市)や、伊賀一の宮の敢國神社(三重県伊賀市)に祀られているのはそのためか。敢國神社によれば、余生は伊賀の国で送ったらしい。なお、備後護国神社はここ伊佐須美神社と同様、タケヌナカワワケの命もご祭神だ。
#建沼河別命
古事記では建沼河別命、日本書紀では武渟川別。古事記によればオオヒコの命の子。父と同じく四道将軍の一員で、東海道を平定した。HPでも強調されているように、父子は会津で合流し、彼らが「会った」ためこの地を会津と呼ぶ、と古事記にある。
それにしてもなぜ彼らは、海岸線を青森まで進まず、あたかも呼応するかのように、福島と新潟で折れ曲がって内陸へ突っ込んでいったのか。僕の想像だが、思わぬ強敵に阻まれたんじゃないかと。
HPによれば、そもそもここ伊佐須美神社を創建したのはオオヒコの命とタケヌナカワワケの命。会津で落ち合った2柱が、イザナギの尊とイザナミの尊を国家鎮護の神として祀ったのが始まりだと。彼らがご祭神に加わったのは、6世紀に現在地に遷座して以降とある。
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