あたごじんじゃ
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愛宕神社ではいただけません
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愛宕神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月07日(木)
参拝:2023年12月吉日
郡山神社巡り④一帯は愛宕山と呼ばれていた地で、1689年(元禄2年)に熊野三山系の山伏が愛宕堂を建立したのが始まりとされれいます。扁額には「愛宕堂」とありました。駐車場は月極駐車場がありますが、その先には何の表示もなかったので停めさせていただきました。こちらの愛宕神社よりも、境内社の妻恋稲荷神社に興味をそそられました。この神社には元禄15年赤穂事件に関わる伝承が残されています。以下妻恋神社由緒です。
昔、当社は江戸の吉良上野介の屋敷に祀ってあり家来の一人で郡山の呉服屋生まれの石塚彦宗は信心深く毎日妻恋稲荷にお参りしてましたが、元禄15年12月14日(旧暦)討ち入ってきた赤穂浪士に襲われます。傷を受け、逃れそのまま気が遠くなってしまった時「ここにいては助かるまい、お前の故郷まで連れて行ってやろう」という声、そこには大きな狐が背を向けて乗れというような見振りをしていました。「さて日頃信心する稲荷様がこの狐を寄越して下さったのか」と背中に乗ると狐は雲の上を飛んで走り彦宗を郡山の生家まで連れていくのです。傷を治した彦宗は、刀を捨て武士をやめ先祖からの呉服屋の商売に精を出したそうで、命を助けてもらった恩を忘れられず
清水台の愛宕神社の脇にお社を造り、江戸の吉良邸にある妻恋稲荷を勧請して祀ったとのこと。現在、本所松阪町の吉良邸跡は公園になっており、その中に邸内社だったとされる稲荷神社がン祀られています。ご祭神には吉良上野介も名を連ねているそうです。もうすぐ14日!ちょっと行ってこようかな!
社務所は閉まっており、お声がけしないで参拝のみにしました。
昔、当社は江戸の吉良上野介の屋敷に祀ってあり家来の一人で郡山の呉服屋生まれの石塚彦宗は信心深く毎日妻恋稲荷にお参りしてましたが、元禄15年12月14日(旧暦)討ち入ってきた赤穂浪士に襲われます。傷を受け、逃れそのまま気が遠くなってしまった時「ここにいては助かるまい、お前の故郷まで連れて行ってやろう」という声、そこには大きな狐が背を向けて乗れというような見振りをしていました。「さて日頃信心する稲荷様がこの狐を寄越して下さったのか」と背中に乗ると狐は雲の上を飛んで走り彦宗を郡山の生家まで連れていくのです。傷を治した彦宗は、刀を捨て武士をやめ先祖からの呉服屋の商売に精を出したそうで、命を助けてもらった恩を忘れられず
清水台の愛宕神社の脇にお社を造り、江戸の吉良邸にある妻恋稲荷を勧請して祀ったとのこと。現在、本所松阪町の吉良邸跡は公園になっており、その中に邸内社だったとされる稲荷神社がン祀られています。ご祭神には吉良上野介も名を連ねているそうです。もうすぐ14日!ちょっと行ってこようかな!
社務所は閉まっており、お声がけしないで参拝のみにしました。
すてき
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サンダー1549投稿
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