御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
無戸室浅間神社(船津胎内神社)ではいただけません
広告

うつむろせんげんじんじゃ(ふなつたいないじんじゃ)

無戸室浅間神社(船津胎内神社)
山梨県 富士急ハイランド駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

無戸室浅間神社(船津胎内神社)について

神社拝殿が溶岩樹型の入口になっていて、中に入ることが出来るユニークな神社です。溶岩樹型の中は胎内のようになっているため、胎内神社と呼ばれています。

山梨県のおすすめ2選🎏

広告

おすすめの投稿

のぶさん
2021年09月12日(日)
1462投稿

御祭神を木花咲耶姫命とする無戸室浅間神社は、船津胎内樹型を木花咲耶姫命が出産した場所の「無戸室」と称して祀り、安産、子授けの御利益があるとされています。

17世紀の初め頃、富士講の開祖とされる長谷川角行が富士登拝を行った際、船津胎内樹型に含まれる溶岩樹型のひとつを発見し、その内部に浅間大神を祀ったのが創始とされています。延宝元年(1673)には、角行の後継の信者が富士登拝の折、現在の船津胎内樹型の中でも最も大規模な溶岩樹型を発見。浅間明神誕生の清地として改めて浅間大神を勧請しました。江戸末期の錦絵「富士山胎内巡之図」でも、最奥部の室で溶岩から滴り落ちる雫を妊婦のために持ち帰ろうとする姿が描かれるように胎内巡りの洞穴として知られるようになり、富士講中の登拝の際、潔斎して洞内くぐりをし、息災を祈願を行う地となりました。明治期に洞穴入り口に社殿が建てられ、富士講社から寄進された石造物や社宝の厨子入の富士講先達、藤井藤四郎の一本造り木像が安置されています。

信仰の対象となっている溶岩樹型の船津胎内樹型は、承平7年(937)の富士の大噴火で流出した、剣丸尾溶岩流が樹木を囲み固まったものです。複数の大木が複雑に折り重なってつくられた複合型溶岩樹型は、地質学的にも貴重な自然の造形物で、総延長は約70mほどもあります。

天井に溶岩鍾乳石が群生し、溶岩は鉄分のため赤色を帯びたその様相があたかも人間の体内を想起させることから胎内と名付けられ、延長20m程の「母の胎内」と15mほどの「父の胎内」からなり、特に6mほど続く入り口の肋骨状の側壁や突起状の天井は見応えがあります。周辺に点在する溶岩樹型とともに昭和4年(1929)に国の天然記念物にされています。

無戸室浅間神社(船津胎内神社)の建物その他
無戸室浅間神社(船津胎内神社)の建物その他
無戸室浅間神社(船津胎内神社)(山梨県)
無戸室浅間神社(船津胎内神社)(山梨県)
無戸室浅間神社(船津胎内神社)(山梨県)
無戸室浅間神社(船津胎内神社)の手水
無戸室浅間神社(船津胎内神社)の建物その他
無戸室浅間神社(船津胎内神社)の建物その他
無戸室浅間神社(船津胎内神社)の建物その他
もっと読む
投稿をもっと見る(17件)

歴史

船津胎内樹型を木花咲耶姫命が出産した場所の「無戸室」と称して祀り、安産、子授けの御利益があるとされています。
17世紀の初め頃、富士講の開祖とされる長谷川角行が富士登拝を行った際、船津胎内樹型に含まれる溶岩樹型のひとつを発見し、その内部に浅間大神を祀ったのが創始とされています。延宝元年(1673)には、角行の後継の信者が富士登拝の折、現在の船津胎内樹型の中でも最も大規模な溶岩樹型を発見。浅間明神誕生の清地として改めて浅間大神を勧請。
信仰の対象となっている溶岩樹型の船津胎内樹型は、承平7年(937)の富士の大噴火で流出した、剣丸尾溶岩流が樹木を囲み固まったものです。複数の大木が複雑に折り重なってつくられた複合型溶岩樹型は、地質学的にも貴重な自然の造形物で、総延長は約70mほどもあります。
天井に溶岩鍾乳石が群生し、溶岩は鉄分のため赤色を帯びたその様相があたかも人間の体内を想起させることから胎内と名付けられ、延長20m程の「母の胎内」と15mほどの「父の胎内」からなり、特に6mほど続く入り口の肋骨状の側壁や突起状の天井は見応えがあります。周辺に点在する溶岩樹型とともに昭和4年(1929)に国の天然記念物にされています。

歴史をもっと見る|
6

無戸室浅間神社(船津胎内神社)の基本情報

住所山梨県富士河口湖町船津6603
行き方
アクセスを詳しく見る
名称無戸室浅間神社(船津胎内神社)
読み方うつむろせんげんじんじゃ(ふなつたいないじんじゃ)
通称胎内神社
参拝にかかる時間

10分

参拝料

拝殿無料、洞窟内小中学生100円、高校生以上200円

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0555-72-4331(河口湖フィールドセンター)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://kawaguchiko.net/shinto-shrine/utsumurosengen-jinja/
絵馬あり

詳細情報

創建時代1673年(延宝元年)
ご由緒

船津胎内樹型を木花咲耶姫命が出産した場所の「無戸室」と称して祀り、安産、子授けの御利益があるとされています。
17世紀の初め頃、富士講の開祖とされる長谷川角行が富士登拝を行った際、船津胎内樹型に含まれる溶岩樹型のひとつを発見し、その内部に浅間大神を祀ったのが創始とされています。延宝元年(1673)には、角行の後継の信者が富士登拝の折、現在の船津胎内樹型の中でも最も大規模な溶岩樹型を発見。浅間明神誕生の清地として改めて浅間大神を勧請。
信仰の対象となっている溶岩樹型の船津胎内樹型は、承平7年(937)の富士の大噴火で流出した、剣丸尾溶岩流が樹木を囲み固まったものです。複数の大木が複雑に折り重なってつくられた複合型溶岩樹型は、地質学的にも貴重な自然の造形物で、総延長は約70mほどもあります。
天井に溶岩鍾乳石が群生し、溶岩は鉄分のため赤色を帯びたその様相があたかも人間の体内を想起させることから胎内と名付けられ、延長20m程の「母の胎内」と15mほどの「父の胎内」からなり、特に6mほど続く入り口の肋骨状の側壁や突起状の天井は見応えがあります。周辺に点在する溶岩樹型とともに昭和4年(1929)に国の天然記念物にされています。

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ