たけいさおじんじゃ
建勲神社のお参りの記録一覧
山形神社巡り2日目⑥ 今回最後の神社です。気になっていた神社でいつか参拝しようと思ってました。時間があったので、こちらの近くの腰掛庵でわらび餅を購入したいと思い天童に移動。少々迷いましたが、中々の神社、織田信長公が御祭神です。ご丁寧な御朱印を拝受した後、腰掛庵は完売で終了。空港で人生初めての山形名物、冷やしラーメンを美味しくいただきました😊
下にも石段が続いています
ナビで参道途中に着いた為、下の鳥居は潜りませんでした、帰りにちらっと見たところ立派な鳥居でした
石段
拝殿
扁額
本殿
由緒書
灯籠
御神木
おまけ 冷やしラーメン
今年還暦を迎えるということで、中学時代の同級会が天童で開催。
宴会まで時間があったため、建勲神社を参拝。
何故、天童に、織田信長を祀る神社が…?
由緒をみると織田信長の末裔が天童の城主だったとか…
この神社に投稿されている方々のコメントの通り、山道をウネウネと進み
やっと境内に到着しました。
【この日の天候は蒸し蒸ししていて、汗がだくだく状態…】
一通りお参りの後、社務所で御朱印を頂きました。
まだ、中腹のところに案内板が…
神社の境内に繋がる石段です。
【きっと、これが本道なのでしょうね…】
こちらが境内への石段
拝殿です
ご神木のようです
さざれ石
由緒
境内から、寒河江方面の眺め
拝殿と本殿です
そういえば、鳥居を見て無い…と思い、石段を下り暫く歩くと現われました。
御朱印です【直に書いて頂けました】
【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)
建勲神社(たけいさお~)は、山形県天童市天童にある神社。旧社格は県社。祭神は織田信長命。明治時代に創建された藩祖を祀った神社のひとつ。
天童織田家は、織田信長の次男・信雄の子孫で、信雄の四男・信良を祖とする。子孫は上野国小幡藩、出羽国高畠藩を経て、江戸時代後期の1830年に出羽国天童藩を立藩した。その後明治維新を迎え、天童藩知事となった小田信敏が東京の私邸内に「織田社」と称し祀ったが、神祇官から「健織田社(たけしおりたのやしろ)」という神号を下賜され、1870年にこれを天童山の城山(現舞鶴山)山頂に分祀したのが当社の始まり。同年「建勲社」と改称し、のち近代社格制度のもと県社に列格した。1884年に社殿を山頂から山原の現在地に遷座。戦後、現在の「建勲神社」に改称した。
当社は、JR奥羽本線・天童駅の南東650mの、舞鶴山(天童公園)北西麓の小高い場所にある。
平地の長い参道から数十段の階段を登ったところにある境内はあまり広くはなく、階段を登り切ってすぐ正面に社殿があり、その脇に社務所などの建物が建っているのみで非常にコンパクト。説明文含め石碑はいくつか立っているが、境内社などはないみたい。境内の木々の間から天童市内が見渡せる。
今回は、山形県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、ちょうど七五三の家族連れが昇段祈祷をしていた。純粋な参拝のみの人は自分以外には見掛けなかった。
境内東方の参道上からの眺め。
境内東端入口の<鳥居>。
鳥居をくぐって階段を登り切ったところから<社殿>を望む。
階段上から下を見下ろす。綺麗な紅葉の間から天童市内が見える。
階段を登り切ったところ右側にある<御神水>。
<拝殿>全景。神明造の凛とした造り。
<拝殿>正面。素朴な扁額。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿の左側にある、祭神・織田信長命を称える石碑。本居宣長『古事記伝』からの引用句みたい。
拝殿前右側にある<さざれ石>。
拝殿前右側にある<芭蕉句碑>。
参拝時、七五三の家族連れが数組、昇段祈祷に訪れていた。
境内から見た西方の景色。雪化粧した山脈と天童市街が見える。(^▽^)/
伺ったのは無人のタイミングだったので、残念ながら建物内の拝観や社務所対応は叶わず。
また来られたらいいなぁと祈願参拝。
御神木は松
圧巻の階段だけどもゴールは見えてるし122段(3分割されてます)なので、身構えたほど大変じゃなかった
御神水アリ〼
階段途中の公園にトイレ
本殿横の岩肌は迫力あります
天童駅に着いたら雨がパラパラ。しかし、神社に到着すると、いきなり晴れ間が。これは信長様のご加護ですね。現在、創建150周年記念のスタンプが押された御朱印を頂くことができます。
150周年記念限定の御朱印
京都船岡山の建勲神社と同様、信長様を詣でるには階段を登っていかなくてはなりません。。。
天童の象徴、舞鶴山にある神社です。暑い中、ご祈祷後でも丁寧に対応していただきました。ありがとうございます。
織田木瓜の旗がたなびくお社。
祭神は織田信長その人。怖い神様ですね笑
天童藩織田家ゆかりの神社で、織田信長公を祀っています。
京都にも同じ名前で信長公を祀った神社がありますが、こちらの方が創建は先なのだそうです。
お参りしていると、「どうぞ上がって見て行ってください」と、宮司さんに拝殿内に招かれました。
拝殿の中は、織田家ゆかりの品が多数あり、宮司さんが熱心に説明してくださいました。とても勉強になりました。
舞鶴山の山腹に位置しているため、境内が少し狭く、駐車場までの道も細いので、車で行かれる方は気を付けてください。
拝殿です。中は由緒ある品々がたくさん。
信長公の絵もあります。イケメンですよ。
御由緒書きです。
御朱印です。力強い書体。
建勲神社といえば京都を思い浮かべる方がほとんどだと思います。
が、ここ、天童市は元々織田領で、建勲神社も京都より天童市の方の建勲神社が先に建っています。
本当に道が狭く、分かりづらい為車での参拝は気をつけて下さい。(二度目の参拝者と行きましたが道が細く分かりにくい為、少々迷いました)
拝殿の中には当時の宣教師が書いた最も織田信長公に似ているとされる肖像画や、忠実に再現した圧し切長谷部の模造刀もあります。
御朱印を頂戴しに社務所に行くと車祈祷の方がいらっしゃってましたが「先にどうぞ」と順番を譲って下さいました。ありがとうございました。
この幟の字が格好いいな〜と思わずパシャリ。
信長公にゆかりの深い、金平糖も頂戴しました。
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