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すさじんじゃ

須佐神社の御由緒・歴史
和歌山県 箕島駅

ご祭神《主》素戔嗚尊
創建時代和銅六年(713年)
創始者不詳
ご由緒

古事記、日本書紀において、日本列島に樹木の種を播き、紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に赴くにあたって訪ねたとされる五十猛神(大屋毘古神)を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として和銅6年10月に大和国吉野郡西川峯(現在の奈良県吉野郡吉野山)より勧請されたのが当社の始まりであると伝えられている。
当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、海上往来の船舶等が、崇敬の至誠を捧げなければ、事故が多く発生したため、元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。
従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。
延喜式神名帳においては、名神祭、月次祭、新嘗祭の官幣に預り、三代実録清和天皇貞観元年正月の条において従五位下から従五位上に叙せられ、木國神名帳には従一位と記されている。
元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、建武2年須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、天正の兵火で焼失した。
又建武2年5月に楠木正成より保田一円を寄進され、浅野家領国の際には祈願所として田14町3反を献納されている。

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 伊太祁曽神社(和歌山市伊太祁曽)。祭神の五十猛命はスサノオの息子神であるという。古来須佐神社と関係が深い。 『続風土記』の引く社伝によれば、和銅6年(713年)10月初亥日に大和国吉野郡西川峰(場所不明)から中雄山の山頂に勧請されたのが創祀という[1]。また同記では、当初は海に面して西向きであったが、往来する船が恭意を表さないと転覆させるなどの神異を示したため、元明天皇(在位:707年-715年)の勅命により海が見えないよう中腹の現在地に移し南向きに改められたという[2][1]。当社が勧請されたという和銅6年10月初亥日は、伊太祁曽神社が現在地(和歌山市伊太...Wikipediaで続きを読む
引用元情報須佐神社 (有田市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%9C%89%E7%94%B0%E5%B8%82%29&oldid=98335671

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