すわじんじゃ
諏訪神社のお参りの記録一覧
月が変わりましたのでお参りに行きました。
先日剪定されていた御神木に葉が付きだしていました🌳🌿
『恋の森御朱印』以外は、書き入れて頂きました。
見るたびに立派な社殿と広い境内、緑も多く、癒される場所です。
月替わり御朱印
月替わり御朱印
通年の御朱印
月替わり御朱印
今日は、図書館に行った帰りに高田馬場にある『諏訪神社』をお詣りいたしました⛩️
境内は、とても静かでよい雰囲気でした😄
御朱印は、毎月27日限定の御朱印をいただきました✨✨✨
ご由緒
当社の創建は、弘仁年中(西暦810~820)小野篁朝臣が、大国主命、事代主命を祭祀すと云われます。
当時当神社は、奥羽街道の一部松原街道に面しておりましたので、松原神社と称されておりました。 承和年中(西暦834~848)には、空海の弟真雅僧正再営と伝えられます。 永承年中(西暦1046~1053)源頼義、義家父子が陸奥の国の阿倍氏反乱(前九年の役)鎮定の折、当社に祈願せられ、凱陣の節には武器を納められました。
文治五年(西暦1189)の春、源頼朝公が藤原泰衡討伐の為、陸奥発向のみぎり、当社に祈願あり、凱陣の後に社殿を造営せられました。 この時頼朝公は、頼義、義家父子を当社境内に白旗社として祀られました。 建長六年(西暦1254)北条時頼が、厳島神社を境内に祭祀しました。 この神社は当神社の飛地に池と共に祀られておりましたが、現在は本社に合祀されております。
応仁三年(西暦1469)春、太田道灌が社殿を再営しましたが、北条早雲の為悉く焼失しました。
その後江戸時代初期に、尾張の徳川家の祖である徳川義直公が、信濃国の諏訪神を勧請し、当社に合祀せられ、現在の諏訪神社と改称致しました。
(公式HPより)
ご祭神
武御名方命(たけみなかたのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
稲荷神社
境内末社の「お稲荷さん」
ご祭神
受保ノ神(ウケモチノカミ)
御嶽神社
境内末社の「御嶽さん」
ご祭神
大物主命(オオモノヌシノミコト)
太玉命(フトタマノミコト)
月が変わりましたので、お参りしてきました。
3月を最後に、今迄の月替わり御朱印や勝御朱印が頒布中止になりましたが、またすぐ5月から違った形で月替わり(書き置き。同じ柄で色ちがいのべ-スに直書き)御朱印の頒布が始まり、毎月いただいていますが、今月は十五夜の御朱印もあり(書き置き)頂きました。
十五夜限定御朱印(書き置きのみ)
通年の書き入れて頂ける御朱印
毎月色が変わります(書き置きのみ)
7月の月参りに行ってきました。
神田川沿いを歩き、小滝橋から高田馬場方面へ歩き、ここを左折したら高田馬場駅に!の信号を左折しないで直進すると、左手に玄国寺、すぐ先の左手に諏訪神社。🏠から1時間15分くらいの(暑くてぺ-スダウン)ウォーキングお参りです。
広く静かで立派な社殿が素敵な諏訪神社さん。
今月も御朱印を書き入れていただいて、恋の~😊御朱印も5月と柄は同じですが、色が違っていたので頂きました。
今年の春まで、毎月干支の入った可愛くカラフルな御朱印があり、27日には『勝』と書き入れていただける限定があり、毎月楽しみだったので、終了して直後は寂しかったけれど、今は、このシンプルな御朱印が神社の存在と雰囲気に合っていルように思えます。
玄国寺と並ぶように建つ新宿高田馬場にある諏訪神社です。
この社紋は紛れもなく信濃諏訪大社と同じものです。根が四本あるから上社かな?
誰もいない静かな境内でお参りさせていただきました。
御朱印は通常、限定版とも¥500でした。
社紋。信濃諏訪大社と同じものです。
限定版をいただきました。通常版は直書きでいただけるそうです。
参道
菊の紋章もあります。
沼袋から高田馬場に出て、諏訪神社まで歩くことにしました。
交番で、諏訪通りに出たらありますよ、と教えてもらいました。通りの名になるくらい、由緒のあるところのようです。
平安初期、小野篁が大国主命、事代主命を祀ったのが起源。
1189年、源頼朝が社殿を造営。
江戸時代初期に徳川義直により信濃の諏訪神社を合祀。改称、再建されました。
あたりは諏訪ノ森といわれ、徳川将軍たちも鷹狩に訪れたり、老鷹を奉納したりしたそうです。
印がレトロですてきな御朱印
湧水の霊水
眼病、諸病に霊験があるそう
写真では分かりにくいのですが、屋根がとてもすてきです
三柱の塔
神輿庫
高田馬場もこんなに森だったとは
西早稲田駅まではすぐです
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