こんちいん|臨済宗南禅寺派|勝林山
金地院のお参りの記録一覧
「江戸四十四閻魔」第1番
東京タワーの真ん前にある臨済宗寺院。閻魔さまは墓地入口にある小さな閻魔堂に安置されています。
入り口
道の反対側は東京タワー観光の人集り
本堂
何のお堂か不明
閻魔堂
閻魔堂
石造閻魔大王坐像
普段のお参りに平行して、江戸三十三観音様に無理ない範囲でお参りしていますが、今日は、久し振りに第二十八番の金地院さんへ伺いました。
大江戸線赤羽橋下車で、東京タワー方向に歩き、交番がある角を左に。左手に見える東京タワーに気持ち引かれながら、そのまま坂を上ると道沿い右手にありました。
目の前が東京タワー🗼です。
江戸時代の金地院の境内地であった敷地に、昭和33年に建てられたのが東京タワーなので、当時はとても広い敷地だった事を改めて思いました。
東京タワーの展望台から金地院を眺めると、本堂が八角形をしているのが分かるそうです。
機会があれば…。
右手の寺務所で御朱印帳をお預けして、上がらせていただいて左手の観音様にお参りさせていただきました。
実は、久し振りに暑い日で、中に上がれることが想定外で裸足で出掛けてしまい、夏には念のため鞄に入れている履きものの予備も持たず、そうお伝えしたところ、使い捨てのスリッパまで頂き…申し訳ないのと、感謝と、有難い気持ちでいっぱいになりました。お花もキレイでした。
21.10.23。先の宝珠院さんより徒歩移動8分。
東京都港区芝公園3丁目にある臨済宗南禅寺派寺院。
<京都の大本山南禅寺 東京出張所>
山号:勝林山(しょうりんざん)。
創建:元和5年(1619年)。
開基:徳川家康。
開山:以心崇伝(いしんすうでん)。
本尊:聖観世音菩薩。
《江戸三十三観音霊場第28番札所》
《東京三十三観音霊場第5番札所》
元和五年、江戸城北の丸内に創建。第三代将軍・家光の命で、寛永十六年(1639)当地へ移転したといいます。
禅宗五山十派に相当する格式を有し、開山以来どこの寺にも属しなかったが、明治四年(1871)南禅寺派に属することとなった。
以心崇伝和尚は、寛永寺の天海大僧正と共に「黒衣の宰相」とも称されました。
〜Webサイト 散歩日和 一歩一会より抜粋〜
本日は江戸三十三観音霊場として参詣。東京タワーの真ん前にあり、八戸藩南部家の大きな墓所や境内との新旧のコントラストが何とも良い雰囲気ですね!
お寺の方より本堂への参拝をどうぞとご丁寧な対応を頂き感謝です。
江戸三十三観音霊場第28番札所。
寺号標と札所標。
参道。
山門(石造り角柱門)。
→大正14年(1925年)建立!
左側!《金地禅林》。
→金地はお寺の別称、禅林は禅院=禅宗寺院のことのようです!
右側!《世外勝境》。
→「俗世間を離れた景色の良い場所」という意味合いのようです!
門内より振り返り。
→東京タワーが目の前に🗼
門入って左手に《鎮守堂》兼《経蔵》。
水盤。
本堂。
本堂内へ上げて頂き参拝!
境内。
水子地蔵。
?
六地蔵。
八戸南部家の霊廟か!
庫裡方向。
庫裡。
→こちらで直書きの御朱印を拝受しました。
金地院(こんちいん)は、港区にある臨済宗南禅寺派の寺院。本尊は聖観世音菩薩。京都・南禅寺の東京出張所となっている。江戸三十三観音28番札所。
創建は1619年、徳川家康の政治顧問であった高僧・金地院崇伝(以心崇伝)が江戸城北の丸に建立、京都の南禅寺金地院の住職と兼務。1639年に現在地に移転。境内には、現在でも八戸藩・七戸藩の藩主・南部家の大規模な墓所が残っている。
当寺は、地下鉄・御成門駅、神谷町駅から7分の、東京タワーの脚元にある。敷地の多くの部分が墓地になっている。
参拝時は平日の午後で、墓参者はちらほら見掛けたが、一般参拝者は他にはいなかった。
境内入口。坂道の途中のビルの谷間にある。
寺号標と江戸三十三観音の石碑
振り向くと、東京タワーはこの近さ。
門。二つ目の入口。
変わった形、六角形の本堂。ヤシの木が似合う。屋根の上のユニバーサルスタジオのトレードマークような飾りもユニーク。
創建時の本堂は江戸初期の1619年建立。太平洋戦争の米軍空襲で焼失。1954年再建。
本堂と繋がる寺務所。
本堂には直接は入れず、寺務所で参拝を願い出て、内部を通って入る。正面はご本尊の聖観世音菩薩像。
窓がないので経蔵かと思ったら、こんぴらさんを祀る<鎮守堂>。
金地院を出て、坂の下から東京タワー。
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