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満願寺ではいただけません
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満願寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月11日(月)
参拝:2023年12月吉日
23.12.07。先の等々力不動尊(明王院)より徒歩15分。世田谷区等々力3丁目にあり、明王院の本院である真言宗智山派寺院。
《せたがや百景》
山号 到航山
院号 感應院
創建 平安時代末期
本尊 金剛界大日如来
札所 玉川八十八ヶ所第五十四番
【縁起】~境内掲示板より抜粋~
当山の開創は平安末と伝えられる。室町時代に吉良氏の世田谷城の出城、兎々呂城に祈願寺として現在地に移され中興された。山号を医王山から到航山に改め、このときに本尊は薬師如来から大日如来となった。
徳川幕府より寺領十三石を得、総本山に代わって仏教、密教を教え伝える灌頂道場でもあり常法談林所の格式を持つ寺である。
山門・本堂等は、昭和43年に近現代の数寄屋造りの泰斗である、吉田五十八氏の設計によるものとのことです。古刹の歴史を持つ中、スッキリとした美しい寺院でした。
《せたがや百景》
山号 到航山
院号 感應院
創建 平安時代末期
本尊 金剛界大日如来
札所 玉川八十八ヶ所第五十四番
【縁起】~境内掲示板より抜粋~
当山の開創は平安末と伝えられる。室町時代に吉良氏の世田谷城の出城、兎々呂城に祈願寺として現在地に移され中興された。山号を医王山から到航山に改め、このときに本尊は薬師如来から大日如来となった。
徳川幕府より寺領十三石を得、総本山に代わって仏教、密教を教え伝える灌頂道場でもあり常法談林所の格式を持つ寺である。
山門・本堂等は、昭和43年に近現代の数寄屋造りの泰斗である、吉田五十八氏の設計によるものとのことです。古刹の歴史を持つ中、スッキリとした美しい寺院でした。
山門方向
門前
縁起
元禄年中に柳沢吉保に重用された書家のお墓が国の史跡であることによる標柱。
山門
参道
鐘楼
山門を潜り左手奥にあります。
山門を潜り左手奥にあります。
梵鐘
本堂
本堂裏手の庭園にある大塔
年に3回(7月7日、春秋のお彼岸中日)、庭園と共に公開される模様です。
年に3回(7月7日、春秋のお彼岸中日)、庭園と共に公開される模様です。
講堂
講堂の右側に《一言地蔵尊》
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一説では日本三体地蔵尊の一つ。
宝篋印塔
永代供養塔
「普賢延命大安楽不空眞實一百八臂金剛蔵王大菩薩」とあります。
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「普賢延命大安楽不空眞實一百八臂金剛蔵王大菩薩」とあります。
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六地蔵
講堂遠景
弘法大師一千百年御遠忌供養塔
客殿、寺務所
右端の寺務所で直書きの御朱印を拝受。
右端の寺務所で直書きの御朱印を拝受。
境外に
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庚申堂
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すてき
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