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正一位霊験稲荷神社ではいただけません
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しょういちいれいげんいなりじんじゃ

正一位霊験稲荷神社
栃木県 足利駅

受付時間 4月~9月 9:00~16:30 10月~3月 9:00~16:00 休日 第3月曜日(祝日、振り替休日のときは翌日) 年末年始(12/29~1/3) その他 管理上やむを得ない場合

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

正一位霊験稲荷神社について

足利学校の中にあるので足利学校が休みのときは入れません。

栃木県のおすすめ3選🎏

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歴史

この正一位霊験稲荷社は、足利学校第七世庠主主玉崗瑞璵(九華―「宇降松」の校長です)が書いた天文23年(1554)9月の棟札に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合わせ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554)よりかなり時代をさかのぼると思われる。
江戸時代この稲荷社は、霊験あらたかで足利の町の人々をはじめ近郷近在の人々が信仰し、祭礼におおぜいの人々が参詣した。またこの稲荷社の狐は、足利の町に異変が起こりそうな時は、前の晩などに危険を知らせて人々を守ったので、人々から大事にされたという。
江戸時代足利学校では毎年11月に御供小豆飯をわらにのせ、狐の穴に供えていた。この稲荷社が霊験あらたかなので、明和7年(1770)、第16世庠主千渓元泉が、もとの稲荷大明神を改め、正一位如意霊験と尊崇し、正一位霊験稲荷社とした。
社殿は天文23年(1554)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。
参道にある灯篭は、元文2年(1737)に足利町の石井新五兵衛・亀田市郎兵衛の寄進、水屋の手水鉢は江戸時代の大井権左衛門の寄進であり、明治42年(1909)図書館のところにあった社殿とともに現在地に移された。
神前には佐野の天明で作られた灯篭がある。(案内板より)

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正一位霊験稲荷神社の基本情報

住所栃木県足利市昌平町2338
行き方

JR両毛線足利駅から徒歩10分
東武伊勢崎線足利市駅から徒歩20分

アクセスを詳しく見る
名称正一位霊験稲荷神社
読み方しょういちいれいげんいなりじんじゃ
参拝時間

受付時間 4月~9月 9:00~16:30 10月~3月 9:00~16:00 休日 第3月曜日(祝日、振り替休日のときは翌日) 年末年始(12/29~1/3) その他 管理上やむを得ない場合

御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神 倉稲魂命、八幡大菩薩
ご由緒

この正一位霊験稲荷社は、足利学校第七世庠主主玉崗瑞璵(九華―「宇降松」の校長です)が書いた天文23年(1554)9月の棟札に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合わせ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554)よりかなり時代をさかのぼると思われる。
江戸時代この稲荷社は、霊験あらたかで足利の町の人々をはじめ近郷近在の人々が信仰し、祭礼におおぜいの人々が参詣した。またこの稲荷社の狐は、足利の町に異変が起こりそうな時は、前の晩などに危険を知らせて人々を守ったので、人々から大事にされたという。
江戸時代足利学校では毎年11月に御供小豆飯をわらにのせ、狐の穴に供えていた。この稲荷社が霊験あらたかなので、明和7年(1770)、第16世庠主千渓元泉が、もとの稲荷大明神を改め、正一位如意霊験と尊崇し、正一位霊験稲荷社とした。
社殿は天文23年(1554)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。
参道にある灯篭は、元文2年(1737)に足利町の石井新五兵衛・亀田市郎兵衛の寄進、水屋の手水鉢は江戸時代の大井権左衛門の寄進であり、明治42年(1909)図書館のところにあった社殿とともに現在地に移された。
神前には佐野の天明で作られた灯篭がある。(案内板より)

体験絵馬

Wikipediaからの引用

概要
足利学校(あしかががっこう)は、下野国足利荘(現在の栃木県足利市)にあった、平安時代初期(もしくは鎌倉時代)に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。「坂東の学校」と称された。 室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。創設年、創設者については諸説ある。1868年(慶応4年/明治元年)まで存続、1915年(大正4年)図書館となる。
歴史
歴史[編集] 足利学校の創建年代については諸説あり、長らく論争となっている(本項の論争の節を参照)。 室町時代の前期には衰退していたが、1432年(永享4年)、上杉憲実が足利の領主になって自ら再興に尽力し、鎌倉円覚寺の僧快元を能化に招いたり、蔵書を寄贈したりして学校を盛り上げた。「能化」とは校長に相当する責任者であるが、江戸時代には「庠主(しょうしゅ)」と呼ばれるようになり、今日では「庠主」と呼ばれる事が一般的である[注釈 1]。その成果あって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から来学徒があり、代々の庠主(能化)も全国各地の出身者に引き継がれていった。 上杉憲実は1447年(文安4年)に足利...Wikipediaで続きを読む
引用元情報足利学校」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%AD%A6%E6%A0%A1&oldid=99288260

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