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こうみょうじ|曹洞宗般若山

光明寺の御由緒・歴史
公式静岡県 裾野駅

歴史詳細情報

裾野光明寺は、現在は曹洞宗のお寺ですが、室町時代以前は真言宗の大寺院でした。
境内には、平安時代の作と伝わる、歴史的価値のある仏像が多数安置されています。

豊臣秀吉の小田原攻めの際に火を放たれたため、歴史がわかる史料の多くは残っていません。

【平安~室町時代】真言宗のお寺として開山された

大同3(808)年(平安時代)に創建されたと伝わっています。

現在も残っている位牌(いはい)には「當寺元祖空海上人弘法大師 聖位(当寺の元祖は空海であることを示す)」と記されているため、裾野光明寺が、以前真言宗のお寺であったことは間違いないでしょう。

当時の境内には、七堂伽藍(しちどうがらん)が存在していたと記す資料が残っていることから、裾野光明寺は大きな寺院だったと考えられています。

※七堂伽藍とは、山門や本堂、講堂などお寺に建てられている主要な建物の総称です。また、そのような建物をそろえ持つ、大きな寺院のことも指します。

【室町時代】曹洞宗のお寺として開山

永禄元(1558)年に裾野市にある定輪寺(じょうりんじ)の和尚が、裾野光明寺を曹洞宗として開山しました。

【戦国時代】豊臣秀吉による小田原攻めにあう

小田原攻めとは、天下統一を進めていた豊臣秀吉が、天正18(1590)年に関東地方に勢力を拡大するために小田原の北条氏を攻めた合戦です。

秀吉軍は裾野光明寺に火を放って、境内の七堂伽藍を焼き払い、その明かりを頼りにして小田原に攻めあがったとされています。

感応堂に安置されている不動明王立像と毘沙門天立像は、この戦いの際に水田に埋めて隠されていました。
その後、水田から「痛い、痛い」と声が聞こえたことから掘り返してみると仏像が見つかったと伝えられています。

このような災難を経験しながら、江戸時代以後も曹洞宗寺院として現代まで受け継がれています。
詳しくは公式ホームページをご覧ください。

ご本尊御本尊 地蔵菩薩
創建時代808年(大同3年)
開山・開基弘法大師
ご由緒

光明寺は曹洞宗の寺院で、静岡県東部の裾野市公文名(くもみょう)に位置します。裾野市は、県内では三島市・御殿場市・駿東郡長泉町・富士市に隣接し、東側は神奈川県足柄下郡箱根町と隣接しています。公文名のすぐ東側には箱根山があり、光明寺から芦ノ湖までは直線距離で8kmほどです。 文政3年(1820年)に島田の桑原藤泰(黙斎)によって完成された地誌である『駿河記』巻三十二の公文名の項目を要約すると、「弘法大師が開基であり大同3年(808年)草創で旧真言宗であること」が記されています。文久元年(1861年)、新宮高平によって著された地誌『駿河志料』巻之六十七の公文名の項目を引用すると、「もと真言の古蹟にて、往時は七堂伽藍の大地なりしが、破頽せしを、永禄年中曹洞派の僧、明綱英震中興して後禅刹となれり」と真言宗時代の繁栄ぶりを窺うことができ、実際に平安時代後期作の毘沙門天と不動明王など歴史的価値のある仏像が多数奉安されております。 その後は、永禄元(1558)年に裾野市桃園にある御本寺定輪寺7世の明綱英晨大和尚が開山となり、曹洞宗般若山光明寺と改宗しました。 現在は曹洞宗27代目の住職を松岡広也が務めております。

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