浄土宗
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山中城跡三ノ丸内にあるお寺です🙏🙏ひっそりと静か、苔むした境内に山中城将のお墓があります😊
以下三島市の観光ウェブより
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城しました。
その後天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸(だいさきでまる)等の整備、増築を行ないました。
しかし翌天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けました。
北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられています。
このときの城将松田康長、副将間宮康俊、豊臣方の一柳直末等武将の墓が三ノ丸にある宗閑寺境内にあります。
名称 | 宗閑寺 |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
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ご由緒 | この寺の宗派は浄土宗で、創建は元和(げんな)年間(1615~1623)であろうと推定されています。山中城の副将間宮康俊(まみややすとし)の娘お久が徳川家康に頼んで、山中城三の丸跡に建立(こんりゅう)しました。山中城は、天正18年(1590)3月豊臣秀吉の攻撃により落城しましたが、このときの北条方の副将が間宮康俊でした。
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