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じょうげんじ|曹洞宗萬吉山(まんきつざん)

浄元寺の御由緒・歴史
公式静岡県 静岡駅

歴史詳細情報

浄元寺 由緒

当山 二世 日堂雲作(にちどううんさく)和尚、本師 国洲天越(こくしゅうてんえつ)大和尚を請して開山しました。

当時、家康公は駿府在城の頃はしばしば出猟にて藤枝市の盤脚院にて休息をし、天越和尚の禅話を聞き、また、囲碁を楽しむうちに深く帰依しました。

時折、駿府城にも招待し交遊する中、老僧の往復に悩むのを見て城の近くに寺院建立を提案地所を本通九丁目とし、その年新設制定された東海道五十三次の一里塚の地に現今の境内を賜り和尚の隠居所となした。

開山当初は『一里山 浄元寺』と号し、後に『萬吉山』と山号を改称しました。
昭和二十年の戦災までは、本堂、開山堂、庫裡、総門、半僧坊、豊川稲荷鎮守堂等の境内堂塔あり。

幕末最後の剣豪 榊原健吉

明治初年、徳川慶喜公の静岡での謹慎居住の護衛として当地に男谷門下の幕末最後の剣豪として知られ、当寺に三年半余り寄寓した。愛用の「袖がらみ」を残すも戦火により焼失。

編集:満瑛(まんえい)公式
最終更新: 2021年06月06日(日)

目次

浄元寺 由緒幕末最後の剣豪 榊原健吉
ご本尊十一面観世音菩薩
創建時代1604年(慶長9年)
開山・開基国洲天越(こくしゅうてんえつ)大和尚

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