御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

おつきじんじゃ

小槻神社の御由緒・歴史
滋賀県 南草津駅

ご祭神《主》於知別命,天児屋根命
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

創祀年代不詳であるが、延喜式神明帳に載る栗太郡八座の一つである。
祭神於知別命(垂仁天皇の皇子)は近くに鎮る式内社小槻大社の祭神と同一であり、この地方に勢力のあった名族小槻山君が祖神として祀ったのが創祀といわれている。
天徳三年志津池のほとりに遷座されてから池宮と称し、天正九年宗源宣旨に正一位池宮大明神の号証を残した。このことから水神としての信仰もたかまり、伝来の竜王像を安置して歳干せば神池に浸し、喜雨を得て近邑の人々大いに尊崇した。
天児屋根命は中世合祀されたものである。又中世社地に接して館を設けていた近江国守護職佐々木氏の一族青地頼定は、貞治三年願主となって神輿を奉献し、以来例祭には城中に神輿を迎えて礼を尽くした。また幾度か社殿の修造寄進を重ねた。
当社境内並にその付近には古墳が群集しており、これは小槻氏と関係あるものとされ、この地方に小槻氏族が如何に繁栄していたかを物語るものである。
明治九年村社に列格、同十四年大造営、同十六年郷社に昇格した。

歴史
歴史[編集] 古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族の小槻山君(小月山公)が、祖神として於知別命を祀ったのが創祀とされる。小槻山君は朝廷に采女を献上していたことから、栗太郡郡司クラスの家柄だったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)に京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国栗太郡に「小槻神社」と記載され、関係社の小槻大社(栗東市下戸山)とともに式内社に列している[1]。社名の読みは「ヲツキノ」と振られる。 社伝では、貞観2年(860年)に「正一位 小槻大明神」の宣旨を賜わったとするほか、天徳3年(95...Wikipediaで続きを読む
引用元情報小槻神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%8F%E6%A7%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98819504

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ