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しんしゅうおおたには よっかいちべついん|真宗大谷派實相山

真宗大谷派 四日市別院の御由緒・歴史
大分県 豊前善光寺駅

ご由緒

1744年(延享元年)幕府に召し上げられていた真勝寺寺跡は東本願寺へ御下付となり、「本山掛所御坊(ほんざんかけしょごぼう)」となった。これが「九州御坊(きゅうしゅうごぼう)」と称し、全九州の716ヵ寺を統括した「別院」としての始まりである。
1753年(宝暦3年)真宗大谷派 従如宗主より九州御坊に相応しい伽藍の造営を催促する御書が出されたが、同時期に本山の伽藍整備が行われていたことから、九州全体から懇志を集めることは困難であった。1803年(享和3年)あらためて達如宗主の御書が出され、1825年(文政9年)に本堂が成就し、伽藍が整備された。この本堂は九州御坊という位置づけに見合うものとして重層の大規模なものであった。
その後、「御坊」は明治になると「管刹(かんさつ)」と改称。1876年(明治9年)に真宗4派(東西本願寺・専修寺・錦織寺)共通の「宗規綱領」が発布されてから「別院」と改称された。

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