まつもとじんじゃ
松本神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
長野県松本市の松本城の北隣に鎮座する神社で、地元では「ごしゃ(五社)」と呼ばれている。
前身は縁結び、および郷土発展の神として信仰を集めた暘谷大神社である。
暘谷大神社は松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社として知られていたが、寛政9年(1797)に、今宮八幡宮(戸田氏の先祖戸田宗光)、片宮八幡宮(戸田氏以前の三河国田原領主一色義遠)を勧請して合祀。
天保2年(1831)には更に共武大神社(松平康長)、淑慎大神社(松姫)と合祀し五社となり、1953年の若宮八幡宮(松本城の前身深志城の築城者島立貞永)との合祀を期に名称を松本神社と改めた。
縁結びの神様と聞きましたが、地元ではカップルで参拝すると別れると有名だそうです。
御祭神の中に松本城主の妻・松姫様が祀られています。
『松姫様は醜いからと城主に相手にされずお堀に身を投げた』
『松姫様の醜さを隠すため乾小天守に幽閉した。』
という説があるそうで、松姫様の呪いだとか嫉妬の対象になるという理由だそうです。
でも、本当は松姫様は美人だったけど松本に来る前に死んでしまった、というのが事実に近いとされてるらしいです。
残された肖像画も美人だそうです。
例大祭のときは御朱印がもらえるようで、社務所はありましたが無人でした。
中央分離帯にそびえる御神木と遠くに松本城。
門の中に鳥居が見えます。
<手水舎>昔は「暘谷大神社」だったため柱に「暘谷様神水手水舎」の札がかかっていました。
中の石の並びが花火みたいでした。
<拝殿>
<由緒書1>段々神社が合祀されていきました。
最後に若宮八幡宮が合祀されて「松本神社」になったと書かれていました。
<由緒書2>
若宮八幡宮が合祀されるまでは「五社様」と呼ばれていた。
外国からの観光家族も散策がてら参拝。手水舎で清めてから参拝されてました。
たくさん写真を撮って楽しそうでした。
<若宮八幡社>
<松本神社前井戸>交差点の角にあります。
道路から撮影。
<おまけ>松本城と満開の藤
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