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霧島東神社ではいただけません
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霧島東神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年08月23日(水)
参拝:2023年7月吉日
霧島東神社きりしまひがしじんじゃは、霧島山きりしまやまを信仰の対象とする山岳信仰の神社としての第10代崇神天皇すじんてんのう(前97-前30)の御代みよに創建そうけんされたと伝えられています。
天暦年間てんりゃくねんかん(947-957)には、天台宗てんだいしゅうの僧の性空上人しょうくうしょうにんが4年間霧島山きりしまやまに入峰修行にゅうほうしゅぎょうし、高千穂峰たかちほのみねの周囲6ヶ所に鎮座ちんざする其々それぞれの神社の傍かたわらに寺院じいん(別当寺べっとうじ)を建立こんりゅう。霧島山きりしまやまを中心とした霧島六社権現きりしまろくしゃごんげん(霧島東神社きりしまひがしじんじゃ・霧島神宮きりしまじんぐう・狭野神社さのじんじゃ・東霧島神社つまきりしまじんじゃ・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ・夷守神社ひなもりじんじゃ)の一社として神仏習合しんぶつしゅうごうの霧島修験きりしましゅげんの霊場れいじょうとして開山かいざんされ、霧島修験道きりしましゅげんどうの根本道場こんぽんどうじょうとして信仰しんこうされました。
・霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや・錫杖院しゃくじょういん)
・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや・華林寺けりんじ)
・狭野神社さのじんじゃ(狭野権現社さのごんげんしゃ・神徳院しんとくいん)
・東霧島神社つまきりしまじんじゃ(東霧島権現社つまきりしまごんげんしゃ・勅詔院ちょくしょういん)
・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ(中央権現社ちゅうおうごんげんしゃ・瀬多尾寺せたおじ)
・夷守神社ひなもりじんじゃ(夷守権現社ひなもりごんげんしゃ・宝光院ほうこういん) ※現在は夷守神社ひなもりじんじゃとして霧島岑神社きりしまみねじんじゃに合祀ごうし。
以来、西御在所之宮にしございしょのみやと称しょうされた霧島神宮きりしまじんぐうに対し、東御在所之宮ひがしございしょのみやと称しょうされ、崇敬すうけいを集めます。別当寺べっとうじとして千手観世音菩薩せんじゅかんのんぼさつを本尊ほんぞんとする東光坊とうこうぼう花林寺けりんじ錫杖院しゃくじょういんを有し、最盛期さいせいきには360名を越す山伏行者やまぶしぎょうじゃが、山内さんないに宿坊しゅくぼうを営いとなみつつ、社寺しゃじの護持ごじに勤つとめたとされています。
度重たびかさなる霧島山きりしまやまの噴火に社寺しゃじ造営ぞうえいを重ねますが、文明ぶんめい18年(1486)の造営ぞうえいの際、島津忠昌しまづただまさが霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや)・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや)の東西両社とうざいりょうしゃを再興さいこう。圓政法院えんせいほうういんを中興ちゅうこうとして天台宗てんだいしゅうより真言宗しんごんしゅうへと改められました。以来、24世の別当職べっとうしょくが続き、南九州最大の修験道しゅげんどう根本道場こんぽんどうじょうとして尊崇そんすうを極きわめました。
明治元年(1868)の神佛判然令しんぶつはんぜんれい、及び明治5年(1872)の修験道しゅげんどう廃止令はいしれいにより錫杖院しゃくじょういんは廃され、寺領じりょうは没収されます。神社名も霧島東神社きりしまひがしじんじゃと改称かいしょうされますが、昭和9年(1934)、県社けんしゃに昇格しょうかくしました。神意佛心しんいぶっしんを崇あがめる修行しゅぎょうの霊場れいじょうとして、御祭神ごさいじんの祭祀さいしは本より、龍神りゅうじん信仰しんこう、天狗てんぐ信仰しんこう、権現ごんげん信仰しんこうを守り継いでいます。
高千穂峰たかちほのみねの山頂を飛び地とびち境内けいだいとしており、高千穂峰たかちほのみねの山頂に從そびえる天之逆鉾あまのさかほこは、伊弉諾尊いざなぎのみことと伊弉冉尊いざなみのみことが国生くにうみし給たまう時の鉾ほこを、逆さに立てられた故事こじに由来するもので、社宝しゃほうとして祀まつられています。
権現造ごんげんづくりの社殿しゃでんは享保きょうほう12年(1722)の造営ぞうえいより、幾度かの改修かいしゅうを経て現在に至るものです。殿内奥でんないおくに雄雌一対しゆういったいの龍柱りゅうばしらが祀まつられ、向拝こうはいには寛文かんぶん6年(1666)、薩摩藩さつまはん・島津光久しまづみつひさ寄進きしんの「東霧島坐きりしまのひがしにいます」の扁額へんがくが懸かかっています。改修かいしゅうを重ね現在に至っており、昭和52年(1982)、平成9年に改修かいしゅうされてています。
例大祭れいたいさいの秋季大祭しゅうきたいさいは、11月8日に宵宮祭よいみやさい,翌9日の例大祭れいたいさいの2日に渡って斎行さいこうされます。20時から斎行さいこうされる宵宮祭よいみやさいでは、神楽かぐら奉仕員ほうしいんが左右から白刃はくじんを翳かざす中、拝殿はいでん前の石段を参進さんしんして昇殿しょうでんします。拝殿はいでんにおいては二本の祓い串はらいくしと二振ふたふりの白刃はくじんが交差する下を潜くぐり、禊みそぎを受ける霧島東神社きりしまひがしじんじゃ天来てんらいの修祓の儀しゅばつのぎとして知られています。
平成22年3月11日に「高原の神舞たかはるのかんめ」として国重要くにじゅうよう無形文化財むけいぶんかざいに指定された祓川神楽はらいかわかぐらは、毎年、12月第2土曜日の19時頃から、翌朝7時頃まで祓川はらいかわ神楽殿かぐらでんで、33番を夜を徹てっして舞まい納おさめられています。霧島東神社きりしまひがしじんじゃの社家しゃけの年中行事の一つとして、祓川はらいかわの集落しゅうらくに伝えられ400年ほど前にはすでに行われていたと考えられています。正徳しょうとく5年(1715)奥書おくがきの神哥本かみうたほんの一部が残存しており、真剣しんけん、、錫杖しゃくじょう、鉾ほこ、長刀なぎなたを執とり、神哥本かみうたほんにも修験道しゅげんどうにも由来する語句がみられ、その古さがうかがえます。
大鳥居おおとりいを通り、すぐ右手は天狗堂てんぐどうと神龍泉しんりゅうのいずみです。天狗堂てんぐどうは霧島山きりしまやま大津坊おおつぼうを祀まつっています。神龍泉しんりゅうのいずみと称しょうされる忍穂井おしほいは、霧島九頭龍王きりしまくずりゅうおうを祀まつっています。龍神りゅうじんの安息池あんそくちにして 太古たいこより霊泉れいせんとして効験こうげんあらたかとされていますが、東方とうほうよりこの池に女人にょにんの影が映ると忽たちまち異変があると伝へられています。
天暦年間てんりゃくねんかん(947-957)には、天台宗てんだいしゅうの僧の性空上人しょうくうしょうにんが4年間霧島山きりしまやまに入峰修行にゅうほうしゅぎょうし、高千穂峰たかちほのみねの周囲6ヶ所に鎮座ちんざする其々それぞれの神社の傍かたわらに寺院じいん(別当寺べっとうじ)を建立こんりゅう。霧島山きりしまやまを中心とした霧島六社権現きりしまろくしゃごんげん(霧島東神社きりしまひがしじんじゃ・霧島神宮きりしまじんぐう・狭野神社さのじんじゃ・東霧島神社つまきりしまじんじゃ・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ・夷守神社ひなもりじんじゃ)の一社として神仏習合しんぶつしゅうごうの霧島修験きりしましゅげんの霊場れいじょうとして開山かいざんされ、霧島修験道きりしましゅげんどうの根本道場こんぽんどうじょうとして信仰しんこうされました。
・霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや・錫杖院しゃくじょういん)
・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや・華林寺けりんじ)
・狭野神社さのじんじゃ(狭野権現社さのごんげんしゃ・神徳院しんとくいん)
・東霧島神社つまきりしまじんじゃ(東霧島権現社つまきりしまごんげんしゃ・勅詔院ちょくしょういん)
・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ(中央権現社ちゅうおうごんげんしゃ・瀬多尾寺せたおじ)
・夷守神社ひなもりじんじゃ(夷守権現社ひなもりごんげんしゃ・宝光院ほうこういん) ※現在は夷守神社ひなもりじんじゃとして霧島岑神社きりしまみねじんじゃに合祀ごうし。
以来、西御在所之宮にしございしょのみやと称しょうされた霧島神宮きりしまじんぐうに対し、東御在所之宮ひがしございしょのみやと称しょうされ、崇敬すうけいを集めます。別当寺べっとうじとして千手観世音菩薩せんじゅかんのんぼさつを本尊ほんぞんとする東光坊とうこうぼう花林寺けりんじ錫杖院しゃくじょういんを有し、最盛期さいせいきには360名を越す山伏行者やまぶしぎょうじゃが、山内さんないに宿坊しゅくぼうを営いとなみつつ、社寺しゃじの護持ごじに勤つとめたとされています。
度重たびかさなる霧島山きりしまやまの噴火に社寺しゃじ造営ぞうえいを重ねますが、文明ぶんめい18年(1486)の造営ぞうえいの際、島津忠昌しまづただまさが霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや)・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや)の東西両社とうざいりょうしゃを再興さいこう。圓政法院えんせいほうういんを中興ちゅうこうとして天台宗てんだいしゅうより真言宗しんごんしゅうへと改められました。以来、24世の別当職べっとうしょくが続き、南九州最大の修験道しゅげんどう根本道場こんぽんどうじょうとして尊崇そんすうを極きわめました。
明治元年(1868)の神佛判然令しんぶつはんぜんれい、及び明治5年(1872)の修験道しゅげんどう廃止令はいしれいにより錫杖院しゃくじょういんは廃され、寺領じりょうは没収されます。神社名も霧島東神社きりしまひがしじんじゃと改称かいしょうされますが、昭和9年(1934)、県社けんしゃに昇格しょうかくしました。神意佛心しんいぶっしんを崇あがめる修行しゅぎょうの霊場れいじょうとして、御祭神ごさいじんの祭祀さいしは本より、龍神りゅうじん信仰しんこう、天狗てんぐ信仰しんこう、権現ごんげん信仰しんこうを守り継いでいます。
高千穂峰たかちほのみねの山頂を飛び地とびち境内けいだいとしており、高千穂峰たかちほのみねの山頂に從そびえる天之逆鉾あまのさかほこは、伊弉諾尊いざなぎのみことと伊弉冉尊いざなみのみことが国生くにうみし給たまう時の鉾ほこを、逆さに立てられた故事こじに由来するもので、社宝しゃほうとして祀まつられています。
権現造ごんげんづくりの社殿しゃでんは享保きょうほう12年(1722)の造営ぞうえいより、幾度かの改修かいしゅうを経て現在に至るものです。殿内奥でんないおくに雄雌一対しゆういったいの龍柱りゅうばしらが祀まつられ、向拝こうはいには寛文かんぶん6年(1666)、薩摩藩さつまはん・島津光久しまづみつひさ寄進きしんの「東霧島坐きりしまのひがしにいます」の扁額へんがくが懸かかっています。改修かいしゅうを重ね現在に至っており、昭和52年(1982)、平成9年に改修かいしゅうされてています。
例大祭れいたいさいの秋季大祭しゅうきたいさいは、11月8日に宵宮祭よいみやさい,翌9日の例大祭れいたいさいの2日に渡って斎行さいこうされます。20時から斎行さいこうされる宵宮祭よいみやさいでは、神楽かぐら奉仕員ほうしいんが左右から白刃はくじんを翳かざす中、拝殿はいでん前の石段を参進さんしんして昇殿しょうでんします。拝殿はいでんにおいては二本の祓い串はらいくしと二振ふたふりの白刃はくじんが交差する下を潜くぐり、禊みそぎを受ける霧島東神社きりしまひがしじんじゃ天来てんらいの修祓の儀しゅばつのぎとして知られています。
平成22年3月11日に「高原の神舞たかはるのかんめ」として国重要くにじゅうよう無形文化財むけいぶんかざいに指定された祓川神楽はらいかわかぐらは、毎年、12月第2土曜日の19時頃から、翌朝7時頃まで祓川はらいかわ神楽殿かぐらでんで、33番を夜を徹てっして舞まい納おさめられています。霧島東神社きりしまひがしじんじゃの社家しゃけの年中行事の一つとして、祓川はらいかわの集落しゅうらくに伝えられ400年ほど前にはすでに行われていたと考えられています。正徳しょうとく5年(1715)奥書おくがきの神哥本かみうたほんの一部が残存しており、真剣しんけん、、錫杖しゃくじょう、鉾ほこ、長刀なぎなたを執とり、神哥本かみうたほんにも修験道しゅげんどうにも由来する語句がみられ、その古さがうかがえます。
大鳥居おおとりいを通り、すぐ右手は天狗堂てんぐどうと神龍泉しんりゅうのいずみです。天狗堂てんぐどうは霧島山きりしまやま大津坊おおつぼうを祀まつっています。神龍泉しんりゅうのいずみと称しょうされる忍穂井おしほいは、霧島九頭龍王きりしまくずりゅうおうを祀まつっています。龍神りゅうじんの安息池あんそくちにして 太古たいこより霊泉れいせんとして効験こうげんあらたかとされていますが、東方とうほうよりこの池に女人にょにんの影が映ると忽たちまち異変があると伝へられています。
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