うどじんぐう
鵜戸神宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
記紀旅で初めて参拝しました。
宮崎県の観光名所でもあり、たくさんの参拝客がいました😊
洞窟の中に建てられた本殿は独特の雰囲気を醸し出し、神社一帯の景観は国の名勝に指定されたほどの美しさを誇ります。
鵜戸神宮は、崖に沿って作られた石段を降りて社殿へ向かう「下り宮」という珍しい神社で、「日本三大下り宮」の一つに数えられます(その他に群馬県「一之宮貫前神社」熊本県「草部吉見神社」があります)。石段を降りた先には、日向灘に面した崖にある洞窟中に本殿が建てられており、拝殿が1体となった権現造(ごんげんづくり)で、波浪によって岸壁が浸食されてできた洞窟に、本殿と幣殿(へいでん)、拝殿が一体となった権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる形ですっぽり納まっています。この場所には主祭神である「鸕鵝草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」を、山幸彦の妻である豊玉姫が出産するための産屋が建てられていたと言われています。
山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。
御由緒
当神宮は「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の中に、朱塗りの色あざやかにご鎮座されている。
この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ1千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。
強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮りになっている。
沿革
当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧と伝える光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。明治を130余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなく続いている。
鵜戸神宮の参拝後に是非やっていただきたい運試し、その名も「運玉投げ」。運玉と呼ばれる10円玉台の大きさの素焼き玉を、本殿下の磯にある「霊跡亀石」と呼ばれる、亀に似た形をした岩のくぼみのところに玉を見事投げ入れることが出来ると、願い事が叶うと言われています。
男性は左投げ、女性は右投げ
5回チャンスあるので風が強くなければ入る距離です
神社には「神使」と呼ばれる御祭神と最も近い動物がいると言われており、鵜戸神宮ではうさぎが神使として祀られています。一説には鵜戸神宮の「鵜」が「卯」と「兎」へと転じ、うさぎが神使となったと言われています。同神社では、優しく撫でると病気平癒、開運などのご利益があると言われている「撫でうさぎ」が洞窟内に祀られています。
洞窟の奥に進むと、見えてくるのが「お乳岩」と呼ばれる岩です。安産や育児、子宝、女性の健康、家庭円満などにご利益があると言われています。また岩から滴り落ちる水を「お乳水」と言い、飲むことが出来るようになっています。この水を飲むと、母乳の出が良くなると言われています。
日向灘に面した洞窟に鎮座されております。
ご祭神の母君である豊玉姫命が御子の育児のため洞窟にくっつけていかれたという“おちちいわ”からは滴がしたたり落ちています。
御乳岩からは、数秒に一滴のお乳がしたたり落ちます。
社殿
左側は本殿
奇岩もたくさん。
ホトカミで新しい御朱印や御朱印帳があるんだなぁと見ていて、キキタビの御朱印も欲しいと、久しぶりに行ってみました。晴れた日に行くと海と空と鳥居等の赤が映えます。以前は気にしない所が気になったりしました。
コロナ対策でマスク着用。
ウサギが色々な所にいます。姿もそれぞれ違います
御朱印帳が5つも有りました
有名どころの神社。式内社ではないですが、由緒によると崇神天皇の時代からとありますので、紀元前から続いていることになります。
よく見かける上から撮られた写真と亀石を見たくて参拝。朝9時少し前に着いたら人はあまりいませんでした。平日でコロナの影響もあったからな気もしますが。
9時から営業なのか巫女の方々と手水舎で遭遇。本殿ではぐるっとひと回りして1つ1つ二礼二拍手一礼していました。
有名どころだけあってさすがに圧巻でしたが、天安河原に続いてこちらも工事中……。また宮崎に来いということか笑
稲荷神社のあるところから山道を上ると吾平山御陵、上り下りして海まで行くと波切神社が。300mとか400mとか書かれているので、たいしたこたないかと思っていたらとんでもなかった……。道がすさまじく予想以上に時間使いました。
駐車場は境内前にふんだんにありますが、休日は厳しそうな印象。
下から見るとこんな感じ
本殿。左から回って見ていく。
亀石。石を投げてくぼみに入るといい感じ。男は左で投げるそうです。
亀石に投げる石。100円。おみくじのような無人販売で硬貨を入れて購入。
手水舎はもっと手前にありますが、ここでもこの「福注連縄」で清めるようです。100円。行きはまったく気づかず帰りに気づきました……。
稲荷神社と恵美須神社
メートルの数字にやられました笑 上り下りが激しくかなり大変。特に吾平山御陵は完全に山道で疲れます。
波切神社方面
波切神社方面2
波切神社方面3。海に近づいてる感が出てきました
ようやく鳥居。険しさはなかなかのもので途中、道を間違えたかと思いました笑
吾平山御陵方面
吾平山御陵方面2
吾平山御陵
海の豪快な景色と洞窟のような不思議な空間が神々しい神社です。
鵜戸陵墓へも登りましたが、結構急な山道でした。
御朱印
御朱印帳(表)
御朱印帳(裏)
手水舎
本殿
撫でうさぎ
宮崎の古神社です。岩の窪みに陶製の玉を投げ込んで願いを唱えます。
岩の中に神社があります。
この絶景です。
この階段を降りたところに神社があります。
陶製の玉を五個投げました。なんと二個も命中。
福徳円満のお守りです。
日本神話のふるさとである宮崎県はずっと行きたいと思っていた所でした。
コロナ前の2019年秋、念願かない友人と2人で天孫降臨御朱印旅!
まずは行ってみたい神社で一番遠いところから始めよう!ということで海沿いをひたすら南下、鵜戸神宮に参拝。
この日は台風一過で素晴らしい天気!まだ波はめちゃくちゃ荒かったけど、海と空の青がとても綺麗でまさに絶景日より。
海沿いの絶景神社というと大洗磯崎神社や森戸神社を思い出しましたが、それらとはまた別でほんとうに素晴らしい景色でした。
荒波を見ながら崖を階段のはるか下のほうに降りると社殿がある、という他ではなかなか見ない演出(笑)
切り立つ断崖にある洞窟の中に建つ赤い社は独特な存在感で、御本殿は神秘的な雰囲気に包まれています。
本当に美しい神社で 見所も多く、長い時間いても飽きないところでした。
海の直ぐ横にあり、境内?にはウサギがたくさん
運試しの赤玉投げ
一旦入ったのに、バウンドして飛び出てしまいました😢
天気も良く眺めが最高でした。
運試しの赤玉投げ
鵜戸神宮(うどじんぐう)
旧社格:官幣大社
現在は神社本庁の別表神社
御祭神:日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を主祭神とし、大日孁貴、
天忍穂耳尊、彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、神日本磐余彦尊の6柱。
山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命が
『海辺に産屋を作ってほしい』と言われたため、
尊は海浜に鵜の羽で屋根を葺いたが、工事が終わらぬうちに
豊玉姫は大亀に乗り到着されたました。
産屋を絶対のぞかぬようにとの強い請にもかかわらず、
尊がのぞかれると姫は龍(一説には鰐)になっておられ、
それを見られた姫は深くこれを恥じて海神の国に帰られました。
そのため、この御子は日子波限建鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず
のみこと)と名付けられたといわれています。
豊玉姫は帰られる際に左の乳房を引きちぎり、窟の腹に打ちつけて帰られました。
今も『乳房石(おちちいわ)』として本殿の裏手に残っています。
乳房石から滴り落ちる清水で作る「おちちあめ」を母乳がわりにして、
御主祭神は育ったといわれていて購入も出来ます。
ミルキーに似た味で歯にくっつくので子供の頃からあまり好きでは・・・
足利時代に剣法の達人と謳われた相馬四郎義元(慈音)が『念流』を、
愛州移香が『陰流』を当神宮に於いて御神示を受け創始した事により、
念流、陰流の剣法発祥の霊地ともいわれています。
ご朱印。
鵜戸神宮のオリジナル御朱印帳は1~2ページ目は
伊勢神宮の内宮、外宮用になっています。
楼門。
日本三大下り宮のひとつです。
御本殿。
地元なのでよく行きますが、『鵜戸さん』と呼んでいて
子供の出産や七五三などでお世話になりました。
地元では縁結、安産、育児だけでなく、
漁業・航海の守護神としての信仰も篤いです。
御本殿前の海岸にある『亀石』
豊玉姫が出産の為に乗って来られたと言われる亀石。
この亀石の背中の窪みに男性は左手(利き手と逆)、
女性は右手で『運玉(5個100円)』を投げ、入ると願いが叶うといわれています。
ちなみにこの運玉は地元の鵜戸小中学校の生徒や父母たちが作っていて
お正月前には20万個も作られます。
子供たちが一生懸命作っていますので是非運玉を試してください。
社務所の右の方から『吾平山上稜』へと続く階段があります。
こんな階段を延々と上ります。
苔で滑りやすく登山並みにキツイです。
20分ほど上ると到着します。
御祭神のお墓で速日峯頂上にあります。
日本書紀に『葬日向吾平山上陵』とあり、
明治28年に鵜戸神宮の陵墓は伝説地と指定されたそうです。
宮内庁御陵墓参考地として鹿児島県吾平町に吾平山陵があります。
こちらが指定されたあと、鵜戸にお墓がないのはおかしいとゴネたので
伝説地に指定されたという話も聞いたことがありますが・・・
ところで鵜戸神宮のすぐ近くに『サンメッセ日南』というところがあります。
世界で唯一イースター島長老の許可を得て作られたモアイ像があります。
なんでこんなところにモアイが?とよく聞かれますが、
長くなるので割愛します。
モアイは現地語で「モ=未来」「アイ=生きる」という意味があり、
「未来に生きる」ということなんだそうです。
このモアイ像にはジンクスがあり、
左から仕事運・健康運・恋愛運・開運(全体運)・夫婦円満・金運・学力向上と
いわれてますので時間があれば参拝のついでに・・・
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