じょうふくじ|浄土宗知恩院派|恵照山
浄福寺のお参りの記録一覧
洛陽四十八願地蔵尊第十四番・浄土引接地蔵。洛陽二十四地蔵尊第九番。洛陽四十八願阿弥陀如来第七番。境内広く、見どころも多いです🤗庫裏に朱印はしていませんと張り紙・・・😭
恵照山浄福寺。浄土宗知恩院派。ご本尊は阿弥陀如来。奈良〜平安時代のあたり、奈良興福寺の学僧賢憬が葛野郡村雲に堂宇を建立。たびたび火災に遭い鎌倉時代御宇多天皇により一条村雲に移り村雲寺と呼ばれる。江戸時代天明の大火で本堂は焼失を逃れ赤門前で火が止まった、と伝わる。鞍馬天狗が赤門に止まり大団扇で仰いだという伝説である。京都まいまい散歩の妖怪ツアーでお参りしました。
南門
護法堂。護法大権現を祀る。
護法堂の狛犬。
天狗の団扇の絵馬。
護法堂の裏のクロガネモチの巨木。天狗がとまったとか。
赤門前。
天狗の絵馬。
「赤門」浄福寺。
創建は平安初期。当初は天台宗の寺として建立され、京都二十五大寺の1つに数えられていた。
その後たびたび火災に見舞われ、たびたび移転と再建を繰り返す。
後宇多天皇による再建があったり、後柏原天皇により念仏三昧堂の称号を賜り浄土宗を兼ねるようになったりした後、戦国時代が明けて江戸時代に入った頃、現在の地に落ち着いた。
寺の俗称にもなっている「赤門」には天明の大火の際、鞍馬の天狗が降りてきて寸前の所で火を消した、とする伝説や、また、秀吉の聚楽第の一部であるとする説など、様々な逸話が残されている。
寺内の建築物は江戸中期の浄土宗寺院の伽藍配置、および建築様式を伝える貴重な資料として京都市指定有形文化財に指定されている。
また、ここは幕末、島津久光が西郷隆盛ら薩摩藩士を従えて上洛した際、藩邸に入りきれなかった藩士たちの定宿として利用していた寺でもあり、建屋の一部にはその際つけられた刀傷が残っているらしい。
有名な「赤門」は、三門ではなく東門にあたる。何故南門ではなく東門だけが朱塗りにされているのかは謎。
本堂。
拝観はできないが、広い境内は自由に散策できる。
京都府のおすすめ2選🎏
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
17
0