あるかじんじゃ
有鹿神社のお参りの記録一覧
厚木駅まで来たのでご挨拶と兼務社の御朱印を拝受しに。この日は社務所が開いていて直書きしていただけました。
社務所内もパンダだらけ。授与品を入れるビニール袋もパンダの絵柄が。徹底してます😁
A4クリアファイル
ジャッカロープさん
A4クリアファイル
こちらはおまけでいただきました。かわいい♡
御朱印帳
相模国最古の神社で延喜式内社である、有鹿神社本宮に参拝しました。「アルカ」とは古代の言葉で水を表すと伝わっており有鹿は漢字をあてたもので、神社の由緒に鹿は無関係とのこと。(でも鹿のイラストの御朱印がありますw)
この日は残念ながらパンダ宮司様はいらっしゃいませんでした。社務所前にある書き置きの御朱印をいただいて帰りました。
有鹿神社は、一説によると阿波忌部が当地にて祖先神である太玉命を祀ったのが始まりとあります(神社覈録より)。奥宮の勝坂遺跡付近は「麻」のつく地名が多く、境内社には出雲系の神様が祀られていて大日孁貴命は後付されたことや、伝承の中で有鹿比女は龍蛇で表されることなどから、この説は個人的にありえるのでは…と思います。歴史が古く真偽はわかりませんが、こういう思いを巡らせるのは楽しいです。
有鹿神社(あるか~)は、神奈川県海老名市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
創建は不詳。社伝によると、飛鳥時代の天智天皇3年(664年)に初めて祭礼を行い、奈良時代に藤原廣政により社殿の改修と寄進を受けた。この時期、相模国府が有鹿郷に所在したため、国司の崇敬を受け、祭礼が行われたとのこと。平安時代927年の『延喜式神名帳』には「相模国高座郡 有鹿神社」と記載されている。鎌倉時代には、幕府重鎮・海老名氏の手厚い庇護を受け、美麗な社殿と広大な社領を有していたとのこと。その後1333年の関東大兵乱により鎌倉幕府が滅亡、新田義貞の兵火により社殿・史料を焼失、社領も略奪された。1438年の永享の乱で海老名氏は滅亡、当社の再び兵火を被り衰微した。戦国時代に海老名高地の用水を守る「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として徐々に復興、1591年に徳川家康より朱印十石の寄進を受け、江戸時代の1622年には海老名郷の領主・高木主水の内室により社殿が復興された。海老名郷5村の総鎮守となった。
当社は、JR相模線、小田急小田原線、相鉄本線・海老名駅から西に1kmの相模川そば、河川敷の内側にある。周りは住宅街で、境内前の道はそこそこ交通量がある。境内地が3カ所あり、当地が本宮(鳩川の相模川への流入口域)、北に6kmの場所に奥宮(有鹿谷にある小祠、鳩川の水源の一つ)があり、0.6kmの場所に中宮(有鹿の池、鳩川の中間地点)がある。本宮は、少し大きめの<村の鎮守>サイズ。
今回は、相模国・式内社の1社ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には一組夫婦がいたぐらいだった。
境内入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
鳥居をくぐってすぐ左側にある<鐘楼>。
参道の左側にある<参心殿>。シャッターが閉まっているが、建物右側に<神札授与所>と書いているので、授与所みたいなものか。
本殿正面。
拝殿正面。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿の左脇にある境内社。<諏訪社>、<稲荷社>、<日枝社>の表札がある。
本殿の左奥にある、古い手水盤と石柱。石柱には<相模国十三座...>と書いてある。
社殿全景。
社殿の右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の右側離れた場所にある<有鹿天神社>。
有鹿天神社の社殿。
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