やくおうじ|日蓮宗|大乗山
薬王寺のお参りの記録一覧
とにかく、鎌倉で紫陽花を観よう。と、それだけで家をでた日曜日。
ここの寺院も本当に通りがかりに見つけ、知ったものだ。
明治維新後の廃仏毀釈で、一時期は廃寺同然になったらしいが、復活した。
そんなお寺だ。
こじんまりとした寺院であるが、静寂の中に幸福を感じる場所であった。
私は、実は人混みが苦手だ。イヤ、人混みというよりも、人に会う、その物が嫌いなのだ。
そんな感じで、他に参拝者のいないこちらは、外国人やら若者観光客で賑わう鎌倉の表から少し外れて、本当に有難かった。
対応してくださったのは、頭を丸めた美しい女性の住職であった。
色々と説明してくださった。
さしのべさんついて・・・
長くさしのべた右手・・・苦悩する人々を抱きしめ救済しようとされるお姿
つま先を立てた左足・・・すぐにでも傍に駆けつけ寄り添おうとされるお姿
お姿の通り薬壷を持たれるさしのべさんは、皆様の悩みや苦しみを引き受けて下さる菩薩様です。
【縁起】
徳川家・蒲生家とゆかりの深かった当山は元禄時代、三代将軍徳川家光公の弟、駿河大納言徳川忠長公の奥方の寄進により三千坪の敷地を擁し、一般民衆が参詣できない格式の高いお寺でしたが、当時その一隅に誰もがお参りで きる、手を長く伸ばし足をつま先立て薬壷を持った、毒消し薬王菩薩様がおわしまし、「さしのべさん」と呼ばれて一般民衆の信仰を集め、一説には 「薬王寺」という寺名の縁起となったとも言い伝えられています。
薬王菩薩は、法華経に登場される菩薩様で、法華経を聞き得た恩に報いるた め、自身の身を焼き、更にのち自身の両ひじを燃やす苦行をし、法華経の行者の守護を誓われた民衆救済の菩薩様です。
(境内での説明から)
さてさて、御朱印代は自由な額でとあったので、
さしのべさんに癒された事であるし、素晴らしい寺院でもあるし、と、お札を出した所、
「鎌倉には沢山観る所があります。他の所も見られますよ」
と、お釣りとして渡されたのだ。
ううむ。欲のない方だな。
よく、坊主丸儲けなんて言うが、本当に修行された方って、こんなに凛々しいのかもしれない。小欲知足で。
谷中の日蓮宗寺院でも素敵な女性僧侶に出会ったが、ここ鎌倉でも出逢えた。縁とは素晴らしい。そう感じるのであった。
この写真にあるのは、「さしのべさん」と呼ばれているのだそうだ。
毒消し薬王菩薩が本来の名前だろう。薬王寺という寺の名に実に相応しい。
22.12.06。先の岩船地蔵堂より徒歩4分。鎌倉市扇ガ谷3丁目の閑静な住宅地にある日蓮宗の寺院。
《徳川家ゆかりのお寺》
山号 大乗山
創建 永仁元年(1293年)
開山 肥後阿闍梨日像聖人
中興 大乗院日達聖人
本尊 久遠実成釈迦牟尼佛
【概要】~Wikipediaより~
かつては、梅嶺山夜光寺と称し、真言宗の寺院であった。永仁元年、日蓮の弟子日像により、日蓮宗に改宗した。寛永年間(1624年~45年)、徳川忠長室松孝院の援助で不受不施の僧日達が再建し、大乗山薬王寺と改称した。享保5年(1720年)の火災で、五重塔(徳川忠長供養塔)など諸堂を焼失する。天保13年(1842年)、天保の改革にて廃寺となった感応寺の祖師像を移設する。
昨年3月参詣時は、檀信徒様の法要中でしたので、御首題は拝受叶わずでしたが、今回はご住職様(女性)より御首題帳に直にお書入れ頂きました。綺麗にされている境内で気持ちよく参詣できました。
御首題
お題目塔
門柱
右に山号
左に寺号
門入って左側に《鐘楼》
境内右側に《徳川忠長の供養塔》
徳川忠長は三代将軍家光の弟。
本堂
↓
毒消し薬王菩薩
一蓮観音廟
観音堂
久遠廟
歴代上人供養塔
寺務所
こちらで直書きの御首題を拝受。
21.03.17 鎌倉「薬王寺」 参拝。_ 鎌倉市扇ガ谷
桜の蕾の偵察でしたが、時期尚早でした。
01) 日蓮宗「大乗山 薬王寺 (やくおうじ)」 _ 鎌倉市扇ガ谷(の 梅ヶ谷 地域)
鎌倉七口の一つで扇ガ谷と山ノ内(通称、北鎌倉)を繋ぐ
” 亀ヶ谷坂切通し ” 入り口周辺。
暫し参拝の時間ならば駐車可能の例として撮った
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04-1) 本堂
06-1) 境内に入って右側(鐘楼の反対側)。
三代将軍家光公の弟で非業の死を遂げた、’ 徳川忠長公 ’ 供養塔。
07) 本堂前から、鐘楼方向を振り返る。
檀家さま参拝用だが、3台分駐車可能例として撮った。
当日は観光参拝者も駐車していた。
08) 墓地が在る高台の、観音堂 。
( 過去投稿写真と多くが重複するので、5枚/18枚)
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21.03.17H #鎌倉 「 #薬王寺 」 参拝。 #桜 の蕾を偵察 _ #鎌倉市扇ガ谷
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2021-03-22-1#more
/ #岩船地蔵堂 #亀ヶ谷坂切通し #日蓮宗大乗山薬王寺 #徳川家縁の寺 #蒲生家縁の寺
20.02.18 初春の 鎌倉「薬王寺」参拝
日蓮宗「大乗山 薬王寺 (やくおうじ)」_ 鎌倉市扇ガ谷(の 梅ヶ谷)
01) 鎌倉七口の一つで扇ガ谷と山ノ内(通称、北鎌倉)を繋ぐ
” 亀ヶ谷坂切通し ” 入り口周辺。
参道へと曲がった直近に設置されているが、
私を含めて 頻繁に通る多くの観光客さまは
山ノ内へ抜けることが念頭にあるらしくて参拝者を見かける機会は少ない。
02) これでも参道の梅を撮ったつもり
03) 門の手前から
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04-1) 門の手前から、鐘楼周辺の梅を撮ったつもり。
04-2) 境内に入ってから、鐘楼方向。
04-3)
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05) 境内に入って右側(鐘楼の反対側)。
三代将軍家光公の弟で非業の死を遂げた、’ 徳川忠長公 ’ 供養塔。
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06-1) 本堂
06-2) 本堂の扁額 ’ 大乗山 ’
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07-1) 墓地への参道階段登り口周辺の、一蓮観音像。
07-2) ’ 動物たちの供養碑 一蓮観音廟 ’
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08-1) 観音堂 遠景
08-2) 観音堂 近景
08-3) 観音堂の解説パネル
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09-1) ” 久遠廟 ”
09-2) ” 久遠廟 ”
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10-1) 高台の観音堂前から
(「浄光明寺」敷地の後方山中方向。)
(年に1~2回ほどか?に有料公開の ’ 覚賢塔 ’ へ至る山中から、当寺院を眺望できる。)
10-2) 高台の観音堂前から
(「浄光明寺」敷地の後方山中方向。)
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11) 歴代住職廟
12) 直近からの墓所正中を憚って、
斜めから手前と奥の宝篋印塔を同時に撮らせていただいた。
奥の巨大宝篋印塔は、
蒲生氏郷の孫 蒲生忠知の妻(松壽院)と娘(梅嶺院)の墓。
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20.02.18 初春の #鎌倉 「 #薬王寺 」参拝
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/ #2020梅 #梅 #鎌倉市扇ガ谷 #岩船地蔵堂 #亀ヶ谷坂切通し #日蓮宗大乗山薬王寺 #徳川家縁の寺 #蒲生家縁の寺
北鎌倉では珍しい日蓮宗のお寺です。女性の住職さんに御首題を書いていただいた。
写真の説明
写真の説明
写真の説明
写真の説明
写真の説明
写真の説明
写真の説明
写真の説明
17.11.30 初冬の 鎌倉「薬王寺」
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17.11.30 #初冬の #鎌倉「 #薬王寺」
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2017-12-04-4
16.06.11 鎌倉「薬王寺」参拝
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16.06.11 #鎌倉 「 #薬王寺 」参拝
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2016-06-12-4
/ #日蓮宗大乗山薬王寺 #鎌倉市扇ガ谷 #亀ヶ谷坂切通し #岩船地蔵堂
日像を開祖とする日蓮宗寺院。
ご本尊は釈迦牟尼仏です。
元々は「夜光寺」という真言宗でしたが、鎌倉時代に改宗しました。
江戸時代には、徳川家とのゆかりが深く寺紋に「三葉葵」になっているのもここからきています。
コロナ以降、「マスクを外してお参り」をと推奨している様ですが、本当にマスクがいらない生活に戻りたいと思うこの頃です。
奥まった場所にあり、観光客もあまり知られていない寺院です。
「マスクを外してお参り下さい」との張り紙がありました。
一人お参りで、マスクを外して新鮮な空気をいただきました。
こういう「普段の生活」がいつ訪れるのでしょうか?
本堂です。
広い境内ですが、古くは、五重塔も配置してあった格式高い寺院だったそうです。
本堂内の日蓮像です。
少し見づらいですが、説法形した口を開けた珍しい像です。
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