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ながやてんまんぐう

永谷天満宮の御由緒・歴史
神奈川県 上永谷駅

ご祭神《主》菅原道真
創建時代明応二年(1493)
ご由緒

相模国永谷郷(現在の上永谷ほか)座の天満大自在天神の御祭神である菅原道真公は、第六十代醍醐天皇の昌泰二年(899)、右大将に任ぜられた。
 道真公は更に、昌泰四年(901)年正月七日には従二位にも叙せられたが、その月二十五日に、筑紫の大宰府(福岡県)に員外帥(定員外の役人)として左遷されてしまった。
 道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻した。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されたのである。
 その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じている。
 
 さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられている。
 その後御神躰は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、相模八ヵ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、天満宮の社殿を造営し、御神躰を安置し奉った。天文十二年(1543)に宅間伊織之亮、藤原綱頼が社殿を修造し、天正十年(1582)に宅間規富は宮社を再築している。
 明治六年、村社となった永谷天満宮は、明治四十四年四月三十日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
 御創建から五百余年、永谷天満宮は現在も多くの参拝者に親しまれ、霊験あらたかに私たちを見守り続けている。

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