天台宗
願興寺のお参りの記録一覧
815年伝教大師・最澄が施薬院(布施屋)を建立し、薬師如来像を安置したのが創建と伝わる。
998年一条天皇の勅願により七堂伽藍が完成する。
1108年兵火により焼失。1199年再興された。
1572年武田信玄の兵火により再度焼失。1581年地元民衆が資金、資材、労働力、食料を出し合い再興された。
戦国武将の可児才蔵はここで産まれたという。
(朝倉義景の側室がこの地へ落ち延び、ここで産まれた子が才蔵であるという)
1581年建築の本堂は重文指定されている。
(2017年から10年がかりの解体修理中で現在見る事が出来ない)
現在は十王堂が仮本堂になっている。
十王堂(仮本堂)
本堂(解体修理中)
本堂(解体修理中)
本堂(看板写真)
鐘楼門
山門
岐阜公園に在る岐阜市歴史博物館で開催中の特別展「波濤を越えて~鑑真和上と美濃の僧・栄叡~」を岐阜へ観に行くのなら折角だからと少し岐阜県内の寺院巡りをしました。
1寺目は可児郡御嵩町にある大寺山 願興寺です。御嵩町は一時日本最高気温の記録を保持していた多治見市の北、10数kmに位置します。
名古屋鉄道・広見線の終点である御嵩駅の目の前にこの寺院は在ります。
天台宗で、本尊は秘仏・薬師如来(重文指定)。
12年に1度の子年に開帳。子年の昨年に開帳予定でしたがコロナ禍で延期、今年開帳予定でしたがまたコロナ禍で中止。現在、東京国宝博物館で開催中の特別展(10/12~11/21)にて出開帳されています。(直接お目にかかりたいのですが、流石に東京までは行けないです。)次回子年は2032年ですが、現在進行中の本堂の解体修理が終わる2026年に必ず開帳すると住職が仰有っていました。今から5年後が楽しみです。
伝えによれば、815年に伝教大師最澄が東国布教の際にこの地に布施屋(旅行者の一時救護、宿泊施設)を造り、薬師如来を彫り安置したのが始まりとされます。
その後、一条天皇の皇女の行智尼が仏道修行に励んでいた際、池の中から多数の小さな沢蟹に背負われて1寸8分の金色に輝く尊像が現れた。この話を聞いた一条天皇の勅願により998年に七堂伽藍を建立し繁栄したとのことです。この沢蟹と菊が合わさったのが紋章になっています。(蟹薬師と慕われている。)
1108年の兵火、1572年の武田信玄の東濃侵攻による兵火による焼失があったが、地元民を中心に復興させ現在に至ります。
この寺院所蔵の仏像は24躯が重文指定されています。(残念ながら岐阜県には国宝の彫刻(仏像)は1件もありません。)これらの仏像は全て霊宝殿に安置されており、拝観するには予約が必要です(有料拝観)。訪れた時は約束の時刻より早く着いてしまったため少し周りを散策しました。
山門の正面は本堂工事のため右手へ行って、仮本堂で手を合わせました。先には蟹マークが付いた鐘楼門、その先には庫裏です。戻って山門を左手へ行くと駐車場(+トイレ)で、先に霊宝殿があります。
約束の時刻にて住職(こちらは尼僧さんです。)と霊宝殿に入りました。般若心経を唱えて頂いてから、由緒、仏像の説明をして頂きました。まあ、仏像が24躯も並んでいますと壮観というか凄いです。(真ん中にある薬師如来の厨子は閉扉、ご不在のため23躯)厨子の両脇に日光、月光菩薩の2躯。その横に十二神将(左右に6躯ずつの12躯)。四方に四天王(4躯)。右角に釈迦三尊(3躯)。左角に阿弥陀如来立像と坐像の2躯。平安時代後期から鎌倉時代の仏像群。京都・東寺の立体曼荼羅に及ばないとしても、岐阜県の片田舎にこれらの仏像が残っているのは凄い事です。
駐車場は寺院左側の道路から入れます。5台位停めれます。(工事車両出入口前には停めれないため。)
御朱印
名鉄・御嵩駅
山門(門の向こうは工事フェンス)
工事看板
手前:観音堂、奥:仮本堂(十王堂)
鐘楼門
蟹のマーク
庫裏手前の門
庫裏
常行堂
本堂全体を被う工事現場
霊宝殿
可児才蔵(笹の才蔵)生誕地です。
年季が入った本堂は2027年まで修復中です。
重要文化財24体がありますが、防犯上の理由から拝観の際は事前予約が必要です。
8日限定の金の御朱印です。ご住職が多忙の為、時間がかかりましたがボランティアの方が近辺にいらっしゃるのでご不在の時は要相談です。
本殿は修復中のため正門入って右手通路を奥に進み仮殿にお参りします。
御朱印受付はさらに奥に進みます。
奥に映っている門は森家(森可成、蘭丸一家)から移築したものです
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