御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

すわはちまんじんじゃ

諏訪八幡神社の御由緒・歴史
福島県 泉(JR)駅

ご祭神《主》健御名方命,誉田別命
創建時代大同年間(806〜810)
ご由緒

【 創建とお取立て 】
はじめ平安時代の大同年間(806〜810)、現在地よりも海に近い滝尻亀石に、諏訪・八幡の両神が勧請。
それから150年以上が経ち、当地に着任した岩城判官の平政氏公(平将門の孫)にお取立てされて中興しました。
【 津波による移転 】
その後、天文年間(1532〜1555)に津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました(地名:諏訪山)。
【 泉藩の祈願社 】
寛永11年(1634)、初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。
また延宝3年(1675)には内藤政親公によって、山の上にあった社殿が再び里へと降ろされ、現在地である「岩城判官・平政氏公の旧館跡/滝尻城跡」に奉遷されました(当時は諏訪大明神・正八幡宮に分祀)。
その後、元禄15年(1702)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進。
延享3年(1746)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。
【 現本殿の造営と合祀 】
現在の本殿は、寛政8年(1796)に江戸幕府の老中格である泉藩主・本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。
明治6年(1873)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。
また大正4年(1915)、氏子によって唐獅子一対が奉納されました。
【 改築と改修 】
その後、昭和49年(1974)11月に現在地300年記念として幣殿拝殿が改築。
東日本大震災を経て令和元年(2019)11月に本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。
また、令和3(2021)年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。

歴史
由緒[編集] 社伝によると平安時代、大同年間(806 - 810年)頃、亀石ヶ原(現在の泉町滝尻亀石)に勧請され、岩城判官・平政氏により御鎮守・御取立。 天文年間(1532 - 1555年)頃、大津波により社殿が破却され、滝尻[1]山の上に遷座。 1634年(寛永11年)に磐城平藩より分地され立藩、内藤家泉藩初代藩主内藤政晴により泉藩の祈願社と定められ、1675年(延宝3年)2代藩主内藤政親によって岩城判官政氏の旧館跡(現在地:泉町六丁目)に奉遷。当初は、諏訪大明神・正八幡宮に分祀されていた。 1702年(元禄15年)、移封され板倉家泉藩の初代藩主・板倉重同に代わっても崇敬怠らず、水田1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報諏訪八幡神社 (いわき市泉町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E6%B3%89%E7%94%BA%29&oldid=99765382

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ