わかさひこじんじゃ
若狭彦神社(上社)のお参りの記録一覧(2ページ目)
神宮寺のお香水を汲んで→若狭姫神社の霊水をいただき→若狭彦神社の湧水をいただき→鵜の瀬に向かい、これを川に順に流すと「鵜の瀬邪気払い」になるそうです。
パワースポットの立て看板
こちらの案内がありました。
見上げると、このようになりました。
鵜の瀬に来ると、鳥居がありました。
鵜の瀬の案内です。
鵜の瀬の大神は白石神社が管轄されているということでしょうか。
全国一宮巡りで参拝しました。
下社と違って広い鎮守の杜を持ち、その鬱蒼と茂った森による薄暗さは神秘性を感じました。
《鳥居》
《社号碑》
《由緒書き》
《表参道》
両脇の夫婦杉がこの神社の二の鳥居とされています。
《随身門》
《境内》
下社と基本的な構造は同じです。
《宝物庫?》
《手水舎》
手水舎の下の池にはたくさんのイモリが住んでます。
《拝殿》
《末社・若宮神社》
《本殿》
ぐるっと回って参拝します。
若狭一宮。
若狭姫神社からさらに奥に進んだところに居られます。
まず出迎える狛犬さんがムキムキ系で結構年代も古そう。
そして、もうなんていうか、ザ・杜って感じのいい雰囲気。
若狭姫神社の雰囲気とはまた違う静かさというか
姫と彦の名前もなるほどだなぁっていう感じの
(あくまで個人の感想です)
「そのへんに停めといて」っていうフランクさ
灯篭についての説明ってあまりないのじゃないかなと。
普段のみない説明なので目新しい。
苔感はこのあたり
随身門は質素ながらも存在感がありますね。
手水舎も独特です。
鈴がでかい!明治時代のものだそうです。
この雰囲気、いいですよね。
延喜式内名神大社(若狭國遠敷郡/若狭比古神社二座、名神大、)、若狭國一宮、旧国幣中社、現別表神社です。
延喜式に二座とあり、当社と若狭姫神社(若狭彦神社下社)の二社で若狭彦神社となっています。
遠敷川に沿って下流から遡ると、若狭姫神社、若狭彦神社の順に鎮座されており、さらに上流に当神社の神宮寺である「若狭神宮寺」があり、さらにその上流に東大寺二月堂で行われる修二会のお水取りに使われる水を奈良に送る「お水送り神事」が行われる「鵜の瀬」があります。
若狭の遠敷明神(若狭彦姫神)が東大寺に水を送ると約束したとの言い伝えにより、現在でも毎年三月二日にその鵜の瀬において「お水送り」の神事を行い、若狭神宮寺境内にある井戸の水汲み上げ、その水を鵜の瀬から遠敷川に流し、東大寺側では毎年三月十二日にその境内にある若狭井で汲み上げる「お水取り」の行事が行われます。
御朱印をいただきました。
感謝です!!拝。
#若狭彦神社 #若狭彦神社上社
ご祭神はヒコホホデミの尊。パンフに、若狭彦神と称える、とある。
#彦火火出見尊
古事記では天津日高日子穂穂手見命または火遠理命、日本書紀の本文では彦火火出見尊。
ニニギの尊とサクヤヒメの命の子供たちの名前や生まれ順は、古事記と日本書紀の本文で異なる。別伝だと、人数まで違うのもある。
古事記によれば、ホデリの命、ホスセリの命、ホオリの命の3柱で、このうちホオリの命の別名がヒコホホデミの命だ。
日本書紀の本文によれば、ホスソリの命、ヒコホホデミの尊、ホアカリの命の3柱。ホアカリの命は古事記だとニニギの命の兄だが、日本書紀の本文はニニギの尊の兄弟に関して特に言及はない。またホオリの命という名も出てこない。
日本書紀の別伝の1つによれば、ホアカリの命、ホススミの命、ホオリの命、ヒコホホデミの尊の4柱。古事記ではホオリの命はヒコホホデミの命の別名とされるが、こちらでは別神として両方とも挙げる。この別伝は他にも興味を引く記述が多い。
#若狭彦神
若狭国風土記逸文にこんな記述がある。
昔、若狭の国に夫婦がいた。非常に長生きで、かついつまでも少年のように若々しかった。後に神となり一の宮で祀られている。若狭という国名は彼らにちなむと。
神名には触れない。ヒコホホデミの尊やトヨタマヒメの命はおろか、若狭彦神や若狭姫神とも書いていない。
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