せんぞういん|真言宗豊山派|尾風山
泉蔵院愛知県 内海駅
納経所/7:00~17:00
「知多四国」第45番、「南知多」第30番札所です。
慈光寺とは地続きです。
神亀年間(724~)に僧行基が創建したと伝えられています。 本尊の阿弥陀如来と薬師如来は行基の自作です。
十万信者の現当二世安楽のため、二仏御同座にて奉安されたといいます。
1817年、豪商前野小平治の庇護のもと、泉蔵院の寺運は栄えました。
印は納経所で頂きました。
知多四国八十八ヶ所巡りの18寺目は、17寺目と同じく知多郡南知多町の内海に在る第45番札所の尾風山 泉蔵院です。
17寺目の如意輪寺から南へ約0.7km。
真言宗豊山派で、本尊は薬師如来と阿弥陀如来。
神亀年間(724~9年)に行基によって開創された一山九院を擁する井際山 観福寺の一院の泉蔵坊と伝わる。南北朝時代に一色氏が築城した一色城の鎮守としてこの地に移設された。天文年間(1532~55年)に中興開山の梅山和尚にて再興され、泉蔵院に改称したとの事です。(観福寺の塔頭だったのに山号が井際山ではないのは何故でしょうかね?)
国道247号線がほぼ直角に曲がるコーナーの山側に寺院が、海側に駐車場があります。国道を南下してきた場合はコーナーで右折して駐車場に入る事になりますので、追突されぬよう早めにウインカーを出して後続車に知らせる必要があります。
駐車して目の前の崖の上に境内があり、右側(東側)に斜めに上がる階段が付けられていますが裏参道になりますので、来た道を少し戻ると表参道の石段があります。石段を上がると突き当りで、右側に細長い境内となります。(正面に本堂が見えます。写真を撮り漏らしました。)
左側に手水、先の左上に境内社(祠が3つ、社名不明)、立派な拝殿を持つ金毘羅堂。
正面に本堂、本尊は薬師如来と阿弥陀如来ですが、秘仏なのでしょうか閉扉された厨子の中でした。本堂の右側の間は観音堂、こちらも厨子は閉扉されていましたが、泉蔵院は南知多三十三観音霊場第30番札所であり、札所本尊は千手観音ですから厨子の中は千手観音と思われます。建物は直角に繋がっていて観音堂の右側に弘法堂です。
最後に弘法堂の右隣の納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
手水
?社
金毘羅堂 拝殿
金毘羅堂 本殿
本堂
(本堂左手前の屋根は金比羅堂拝殿、右端の緑色は納経所の暖簾)
本堂内
ダルマ大師(ダルマ弘法)と呼ばれているので須弥壇にダルマが祀られている
観音堂内
ダルマを販売中
弘法堂内
名称 | 泉蔵院 |
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読み方 | せんぞういん |
通称 | だるま弘法 |
参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0569-62-1108 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
知多四国霊場 |
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ご本尊 | 薬師如来、阿弥陀如来 |
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山号 | 尾風山 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 神亀年間(724~729) |
開山・開基 | (開山)梅山和尚 (開基)行基菩薩 |
ご由緒 | 弘法大師巡錫の霊跡である井際山観福寺の一坊「泉蔵坊」として創建。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
概要 | 泉蔵院(せんぞういん)は、愛知県知多郡南知多町大字内海字南側69番地にある真言宗豊山派の寺院。 |
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歴史 | 由緒[編集] 創建年は不明。内海城主一色氏によって築かれた一色城址にある[1][2]。井際山観福寺の一坊であった「泉蔵坊」を、室町時代初期に一色氏により城内に移築された[1][2]。現在の本堂は、1676年に再建されたもの[1]。寺宝に1754年に榎本犀助章によって奉納された算額がある[1]。 ^ a b c d 『知多四国巡礼』(歴遊舎) ^ a b 現地案内板より |
引用元情報 | 「泉蔵院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%89%E8%94%B5%E9%99%A2&oldid=91127008 |
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