あんよういん|真言宗豊山派|鶴林山
安養院のお参りの記録一覧
知多四国八十八ヶ所巡りの12寺目は、11寺目と同じく知多郡美浜町の野間に在る第53番札所の鶴林山 安養院です。
11寺目の瑞境寺から北西へ約500m。
真言宗豊山派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は町指定文化財で、脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像も町指定文化財です。
白河天皇勅願の大御堂寺一山の1つ「南ノ坊」として創建。江戸時代に安養院に改称。明治時代に慈雲院、円明院、龍松院を合併し現在に至ります。
本尊の阿弥陀三尊は、源義朝とともに暗殺された鎌田正清の次男である鎌田政直が父の菩提を弔うための念持仏だったとの事です。また、1583年に羽柴秀吉との跡目争いで敗れた織田信長の三男の織田信孝はこちらの書院で自刃しました。(墓は大御堂寺にある。)
山門前に5台位停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。
山門をくぐると右側に手水、左へ行くと地藏堂、斜め正面に本堂です。
本堂前に参拝客がいらっしゃったので先に地蔵堂へ。せき・ぜんそくにご利益がある石造の「せき地蔵」が祀られていました。次に本堂へ。扉が20cm位開けてありましたので戸口から手を合わせました。堂内を覗くと本尊・阿弥陀如来坐像を中尊に、脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像を従える阿弥陀三尊像(3躯とも町指定文化財)なのですが、戸口から距離があるため細かくは観えませんでした。本堂の左側に軒続きの弘法堂でした。最後に庫裏・納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
寺号柱
手水
地藏堂
せき地蔵
本堂
阿弥陀三尊
弘法堂
庫裏・納経所
知多西国八十八カ所霊場
第53番札所
織田信長の三男、信孝が自決した場所。その際、自分の腸引っ張り出して投げつけた「血染めの軸」が残されています。(非公開)
今は、そんな惨劇を感じることはありません。
高さ2メートルを超す「せき地蔵」 せき、ぜんそくにご利益があります。
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