かんぷくじ|天台宗|雨尾山
観福寺のお参りの記録一覧
702年僧・行基によって開かれたと伝わる。
その後の沿革は不詳。1450年前身の本堂が建立された。
現在の本堂は1665年尾張2代藩主・徳川光友により再建されたものである。
本堂内宮殿は1248年に造営された厨子で重文指定されている。
本堂
本堂
本堂
本堂内宮殿
本堂内宮殿
愛染堂
仁王門
知多四国八十八ヶ所巡りの7寺目は、先の弥勒寺と同じく東海市大田町に在る第82番札所の雨尾山 観福寺です。
6寺目の弥勒寺から南へ約1.5km。
天台宗で、本尊は十一面観音。
この本尊・十一面観音立像は県指定文化財で、不動明王立像と毘沙門天立像は市指定文化財です。
十一面観音は秘仏で17年に1度の開帳。前回は2011年に開帳だったとお聞きしましたので次回は2028年、5年後です。
702年に行基の建立と伝わります。前身の本堂は残っている棟札から1450年に建立した事がわかっているだけで、その他詳細は不明です。現在の本堂は1665年に尾張藩2代藩主の徳川光友の援助により再建されたものです。
寺院石段の道路を挟んだ向かいの雨尾幼稚園の前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。短い石段を上がると左側に仁王門ですので、参道は直角に曲がります。仁王門には阿形、吽形の金剛力士像。仁王門をくぐり、石段を更に上がると正面に本堂です。本堂手前左側に手水、本堂左側に愛染明王や不動明王が祀られている愛染堂、その左側に三十三観音でした。(本堂の横まで車で来れるようです。ご年配の方用でしょうか。)本堂右側手前は庫裏(納経所)、本堂右側奥は客殿です。
因みに、本堂は県指定文化財、本尊厨子は重文、本尊は県指定文化財です。
本堂は内陣と外陣が格子戸で仕切られたよくあるタイプ。内陣に祀られているお像の名が書かれた名札みたいなものが上に付けてあります。右から 御祖祖様、弘法大師、六観音、脇士不動明王、本尊十一面観音、脇士毘沙門天、六地蔵、不動明王、行基菩薩、元山大師。しかしながら、覗いても暗くて殆どわかりません。わかったのは弘法大師と左右の六地蔵と本尊お前立ち程度。(御祖祖様って何でしょう? 元山大師は元三大師でしょうね。)何処も似たり寄ったりですね。手を合わせる対象物はハッキリと見たいと思うのが人情ではないかと。
最後に庫裏の納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
左上の黒く写っているのが仁王門
仁王門
阿形
吽形
手水
本堂
右から 御祖祖様、弘法大師、六観音
右から 脇士不動明王、本尊十一面観音、脇士毘沙門天
右から 六地蔵、不動明王、行基菩薩、元山大師
愛染堂
一面三目六臂の愛染明王像
三十三観音
客殿
見どころたくさんのお寺でした。
一時間近くいたと思います。
御本堂に歴史が凝縮されています。
一宇のお堂というカタコトでは済まされないですね。
新四国八十二番 倒壊
阿吽かな
愛染明王
おんまからぎゃば ぞろうしゅにしゃ ばざらさとば じゃくうんばんこく
色も褪せてる
提灯も年代物かな
昭和36・37・38年の奉納札
左 弘法大師 南無大師金剛遍照
御祖祖様(おみおやさま?)
知多四国の案内他
左奥は不動さん?
ビンズル様
左側 十一面観世音
脇士毘沙門天 おんべいしら まんだや そわか
本尊 十一面観世音 おんまか きゃろにきゃ そわか
脇士 不動明王 のうまくさまんだ ばざらだんかん
中央右 十一面観世音
左 六地蔵
六地蔵 おん かかか びさんまえい そわか
行基菩薩
知多四国八十八ヶ所霊場 第82番札所
街からちょっと外れた所にあって、山門が立派なお寺です。
向かいに保育園があるので館内放送や子どもの声がよく聞こえてきました。
亮山阿闍梨お手植えの紅白椿
とっても大きな門
大師堂
陶製の仁王様が可愛かったです。
名鉄「歩いて巡拝(まい)る知多四国」イベント参加で、知多四国八十八所霊場巡りの第82番霊場として参拝。
車入口側。
本堂(弘法堂併設)。
境内。
山門はこちら。
これが山門。
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