あらくらふじせんげんじんじゃ
新倉富士浅間神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
小室浅間神社から歩いてこちらへ。
前日お参りした方が、心が折れたというので、なぜかと聞いたら桜が全然だった。
階段200段以上上がったのに、とのこと。
自分はまだ足首骨折の後、階段などの上り下りがスムーズにできないので、こちらは断念した方がいいかと思いましたが、坂道もあるとのことでしたので、行けるだけ行ってみようと思い、来てみました。
お参りをし、展望デッキへ。
階段の右と左に道があったのですが、行きは右のほうから。
急でしたが、のんびり上り下りしたので、なんとか行くことができました。
途中に見える町の景色もきれいでした。
この日はお天気もよく、富士山もきれいに見え、桜は確かに残念でしたが、それでもとても素敵な景色を見ることができ、自分は満足です。
(前日は山頂に雲もかかってた)
下りは先ほどの道ではなく、行かなかった坂道から(そちらが下りルートのようです)。
降りて荒浜神社にお参りしましたら、後ろに馬が!
乗馬体験もできるという営業を参道でされていたので、その馬かな?
御朱印は何種類かありましたが、特別御朱印と荒浜神社のものをいただきました。
こちらは書置きです。
静岡側では満開に近い桜は山梨側ではもう少し先になりそうでした。
展望デッキも開放されているようでしたが生憎の天気でしたので、来月また改めて来ます。
「新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)」は、山梨県富士吉田市に佇む神社です。ご祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、大山祇(おおやまづめの)命、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。文武天皇の御代、605年に富士北口郷の氏神として祀られたのが神社の始まりです。
ご祭神の日本神話にも登場する由緒正しい神々であり、安産・厄除け・家庭円満のご利益があるとされます。また、戦国時代には、武田信玄の父・信虎も戦の勝利を祈念しており、古くから厚く信仰されてきた神社です。
三國第一山新倉富士浅間神社
~🌸🌿新倉富士浅間神社🌿🌸
🐯木花咲耶姫命🌸令和4年最強天赦日限定御朱印🐯
のぶさん&奥様よりの贈り物✨🎁✨~
主祭神 木花咲耶姫命
大山祗命
瓊瓊杵尊
創建 慶雲三年(705年)
御由緒
人皇第四二代文武天皇の慶雲三年(705)九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として祀る。
第五十一代平城天皇大同二年(807)富士山の大噴火があり八月二二日当社に朝廷からの勅使が参向せられ国土安泰富士山鎮火祭を執行し、その時平城天皇より三国第一山の称号並天皇の御親筆であり現在大鳥居にある勅額、金幣、破魔宝面(勅使面)を奉納せらる。
下吉田駅北方新倉山中腹に鎮座し、神域は新倉富士浅間公園として内外より親しまれ、赤い大鳥居と戦没者慰霊の五重塔「忠霊塔」は当地のシンボルとして眺望は随一である。
人皇第四十二代文武天皇の御代慶雲三年(西暦七〇五年)九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られます。
第五十一代平城天皇の御代大同二年(西暦八〇七年)富士山の大噴火があり八月二十二日当社に朝廷からの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行し、その時、平城天皇より三國第一山の称号並びに天皇の御親筆なる大鳥居勅額・金幣・破魔宝面(勅使面)を奉納されました。
平城天皇よりの大鳥居勅額の「三國第一山」の額字は「勅筆」と伝承されてきたと享保15年(1730)「新倉村 高反別指出明細帳」に記されています。
また破魔宝面は現在、富士吉田市の郷土資料館に展示されています。
武田信玄の父・信虎公
戦国時代には武田信虎公が、北条氏との戦いの際に、新倉山に陣を取ったとあります。 その際に当社に戦勝祈願し、勝利したため、刀を奉納したと伝えられています。
武田信虎公は歴史上の人物として有名な武田信玄の父上。 信虎公は家臣とともに身延山「久遠寺」(日蓮宗総本山 南巨摩郡身延町身延3567)へ参詣し、その後に富士山への登山を行っていたり、富士山頂を一周する「御鉢廻り」を行っている人物でもあり、宗教的示威行為の側面もありますが、浅間信仰への崇敬が篤かったようです。
以後、八代郡荒倉郷(現在の新倉)の鎮守として崇敬を集めています。 当社の近くには同じ新倉に「小室浅間神社」も鎮座されています。
山梨県富士吉田市浅間2―4―1
🧿多摩川浅間神社御守り🧿
富士吉田市 制水弁
🌸以前富士吉田市にお邪魔した際に、マンホール図柄と思い慌てて撮影しましたら、制水弁でした。直線の道の先には日本一の山🗻富士山がありました。あの時の感動が再び、のぶさん&奥様のおかげさまで蘇りました。
ホトカミのおかげで、素晴らしいご縁を頂き、ご覧頂きます皆様に 心よりありがとうございます。🌸
前に訪れた時には雨が降っていたため、富士山も現れてもらえず。階段を登ることも諦めました。今回、398段の階段はかなりキツかったですが、それをも忘れるくらいの絶景でした🤗
富士吉田市街も一望できます。
春らしい御朱印を頂きました😊
創建は705年(慶雲3年)、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られたのがその始まりという。戦国期には武田信虎(武田信玄の父)が領国を接していた北条氏との戦の際、神社の境内地である新倉山に陣取り、この新倉富士浅間神社で必勝祈願、首尾よく戦に勝利したことにより刀を奉納したと伝わっている。
北口本宮冨士浅間神社が、富士山信仰と深く結びついた、外部の人々からの崇敬も受けた大きな神社であるのに対し、この新倉富士浅間神社は、近くにある小室浅間神社と共に特に付近の住民の崇敬を受けてきた比較的こじんまりとした神社です。それゆえに普段は、大きな神社の様に駐車場へ入るための渋滞が起きたり、境内が混雑するようなことも殆どなく、おだやかで親しみのある雰囲気に満ちている。
展望デッキは工事中でいけませんでした。
富士山がとても素晴らしいです。
見晴らし台までは、かなりの急坂または階段を15分ほどかけて昇ります。
境内に木曽馬がいます。
餌代300円寄付したら、通りがかりの巫女さんが餌を与えてくださいました。
山梨県のおすすめ2選💠
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