四谷於岩稲荷田宮神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
この日は一日夫と別行動。メトロ24時間フリーきっぷで、都内の馴染みの神仏に新年のご挨拶回りに行ってきました。
まずは1箇所目、久しぶりの四谷於岩稲荷です。近くのコンビニで買った最中と、ホットのボトル茶をお供えしました。小さな子どもを連れたファミリーや40代くらいのカップル?など、老若男女さまざまな参拝客が、途切れることなくやって来ていました。
手水舎では、柄杓の奉納への礼文が書かれた貼り紙がされていました。
認知度が上がって、活気づいてきているのかな?そうだったらいいな、と思いながら、お暇しました。
真っ赤な幟がはためいて、明るい気が感じられます。
お年始だからなのかもしれませんが、参拝客が絶えず出入りしていました。
後ろから人が次々来るので、拝殿の方では手短に手を合わせてお茶とお菓子をお供えし、手水舎横のこちらの祠に移動して、こっそり祝詞を唱えさせてもらいました。
お岩様と言えば、昔小さい頃四谷怪談を観て体を震わせたものです。
お岩様を演じる時、役者さんも必ずお墓参りをしないと大変な目に遭うと聞きます。
それだけ強力な力があるのでしょう。
本当のお岩様はステキな女性だったそうなので、軽い気持ちで演じるものではない!という伊右衛門様の怒りかもしれませんね。
本当に小さくて、同じくお岩様をお祀りしている陽運寺さんがすぐそばにあって、そちらはステキな空間で妙な感じですが、こちらは田宮家のお岩様を祀ってあると考えれば。
四谷三丁目の出口3から数分であるのに、なぜか辿り着かず30分以上歩き回りました😓
着いた時は、お岩様ー!って心境でした…
小さいのにこの威厳。
四谷三丁目駅から出て神社に向かう途中、大通りの交差点でガシャンと大きな音。振り向くと、メトロに下りる階段のところでロマンスグレーの男性がいただきもののシャンパン?の瓶を落として割ってしまった様子。同日、中央区の於岩稲荷でお供えした栗まんじゅうとお茶を買ったときのコンビニ袋を咄嗟に差し上げて(おまんじゅうとお茶は移動中に完食済でした)、一緒に破片を拾っていたら、すごく喜ばれて、突然「お花は好きですか?」との質問。意図が掴めず「はい、好きですけど…」と答えると、その時男性が抱えていた両手いっぱいの生花をそっくりそのまま譲ってくれたのでした。なのでその大量の花を抱えて四谷稲荷田宮神社にお参りする格好になったのでした。後々考えたら、あれは先に伺った中央区の於岩稲荷で、この後四谷の方に参りますと伝えてあったので、お稲荷さまが於岩さんを喜ばせるために、私を遣わしたのだろうと思いました。いただいたお花は白と紫の花と、黄色とピンクのガーベラが数本で、法事用と思われる組み合わせで、奇しくも今の於岩さんにピッタリなのでした。こちらの神社でも祝詞をあげて、応援の言葉をかけてお暇しました。四谷の神社ではカラリと明るい気を感じました。私はあまりの急展開に動揺していて、きちんとお花をお見せできなかったのですが、お稲荷さまとお岩さんに届いていたらいいなと願うばかりです。
新宿区左門町の於岩稲荷田宮神社に行ってみました。
四谷怪談のお岩さんを祀った神社です。
よく知られた話ですが、本当のお岩さんと婿養子の伊右衛門は仲のよい夫婦で、収入の乏しい生活を奉公に出て支えていたといいます。
田宮家の庭にあった屋敷社を信仰していたおかげで、夫婦の蓄えも増え田宮家は生活が上向いた。その噂を聞いた人々の要望で屋敷社を於岩稲荷として開放したのが、今の於岩稲荷田宮神社の所以だそうです。
お岩さんが亡くなって200年後、鶴屋南北が江戸の街で起こった事件などを盛り込んでおどろおどろしい話に作り上げたのが四谷怪談なんですね。
縁結びにご利益があるとのことで、たくさんの女性がお参りに来ていました。おじさん参拝者は私一人(笑)
現在は御朱印対応は困難な様で、その代り、言葉のお守りを頂けます。
いろんな言葉が書かれたお守りが置いてあり、自分の気持ちにピッタリ合うものを選んでいただきます。
最初にピンと来た「今日よりは明日をより美しく」を頂いてきました。
言葉のお守り
於岩稲荷田宮神社です。道を挟んで少し離れたところには、於岩稲荷陽運寺があります。一般には、それぞれ「四谷怪談」のお岩さんゆかりとされているようですが、田宮神社に立つ東京都教育委員会の解説板によると、実在したお岩さんは夫婦円満だったとのこと。鶴谷南北の戯曲「東海道四谷怪談」はその200年後の作品とのことです。
ウイキペディア「四谷怪談」の「お岩稲荷」の項には、以下の記述があります。
現在、四谷左門町には於岩稲荷田宮神社と於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にある。また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。
四谷の於岩稲荷田宮神社(田宮家跡地)は明治12年(1879年)の火災によって焼失して中央区新川に移った。新川の於岩稲荷田宮神社は戦災で焼失したが戦後再建され、また四谷の旧地にも再興された。
陽運寺は昭和初期に創建された日蓮宗の寺院である。境内には「昭和32年に新宿区より文化財に指定されていたお岩様ゆかりの井戸」があり、また境内にある秦山木の下には「お岩様縁の祠」があったと伝えられている。元々は於岩稲荷田宮神社が中央区新川に移転した際、地元の名物が無くなって困った地元の有志が「四谷お岩稲荷保存会」を立ち上げ、この時、本部に祀ったお岩尊という小祠が大きくなったのが陽運寺の成り立ちである。
お岩稲荷が複数もできる要因としては単純に儲かるから。歌舞伎俳優は元より、お岩の浮気に対して見せた怨念から、男の浮気封じに効くとして花柳界からの信仰を集めたため、賽銭の他に土産物などで地元経済が潤ったからである。このため、東京日々新聞や東京曙新聞といった明治期の新聞には小川某なる人物が何度ももう一つのお岩稲荷を作ろうと画策したことが、記事として残されている。(新・トンデモ超常現象56の真相)
※引用終わり
手前が於岩稲荷田宮神社、奥の白いのぼりが於岩稲荷陽運寺
再戦‼️笑
土曜17時半に伺ったところ、神主さんがご帰宅‼️
無事に御朱印をいただきました前に来た時にお会いした方だったので、今度から参拝場所に御朱印あるか勇気を持って聞いてみようと思いました‼️笑
欲しかったというと欲丸出しですが。。。笑
いただきたかった御朱印‼️笑
贅沢言って表紙の短冊にも御朱印と同じ言葉を書いてもらいました!(御朱印帳と表紙にあるから短冊部分をどうするか悩んでました笑)
御朱印にある有事人生の意味!
神主さんは元々小学校で校長を務めておられた方です!笑
御守り(左)と神社に置いてあるお言葉(右)
言葉に関しては神主さん不在でも置いてあり、言葉も沢山あります‼️
※後日の夜
縁切り→お岩様の流れで行ってきました!笑
東海道四谷怪談で有名なお岩様の神社です!ただ、神社のフリーペーパーにあったんですが、お岩様は夫婦円満で美徳があり、それにあやかる人達が多いから屋敷祠を一般に解放したらしいです。
お化けの話しは人気の名前だけ使った創作ですと!笑
鳥居!
手水舎!
参拝後にパシャリ!
手水舎の横にあった祠。
期待通りの立て看板!笑
説明文!
一文書かれた紙がたくさんあり、自分が感じる紙を1枚取っていってくださいとありました!笑
選んだのはこれです!理想!笑
都心なのに鳥居を潜ると霊場の雰囲気。
空気が変わります。
御祭神は豊受比売大神と田宮於岩命。
縁切りや祟り避けの祈願で来る人も多いそうですが、
本質はもっと優しくて暖かいものだと感じました。
参拝前に手を洗い、口をすすいでから、注意書きを見る。
「飲まないでください」
少し飲んじゃったけど(汗)、きっと大丈夫だよね。
甘い感じのお水でしたσ(^_^;)
「魔性から身をかわす」
なんかカッコいい。気に入って頂いてきました
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