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いわもとじ|真言宗智山派藤井山(ふじいさん)

岩本寺
高知県 窪川駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内右側 普通20台・大型4台(普通200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第37番

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月23日(火)
191投稿

【藤井山(ふじいざん)五智院(ごちいん)岩本寺(いわもとじ)】
本尊:不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
 岩本寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願により、行基菩薩が七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神のそばに建立したと伝えられる福圓満寺(末寺七ヶ寺をもつ)が前身とされる。弘法大師(774-835)がこの寺を訪ねたのは弘仁年間(810 – 824)。 大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。 大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立。 このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
 天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。 再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。明治の神仏分離により仁井田五社と分離され五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一された。

岩本寺(高知県)

【37_T.Hamada's view】
 弘法大師像

岩本寺(高知県)

【37_三度栗】
 「岩本寺七不思議」の一つが「三度栗」の伝説。弘法大師の霊力で1年に3回も実るようになったと言われる栗の木。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

岩本寺(高知県)

【37_本堂】

岩本寺(高知県)

【37_大師堂と聖天堂】
 大師堂(左側)と聖天堂(右側手前)。上空で鳥が迎えてくれます。トンビ?

岩本寺(高知県)

【37_仁王門】

岩本寺(高知県)

【37_仁王阿形像】

岩本寺(高知県)

【37_仁王吽形像】

岩本寺(高知県)

【37_龍の手水舎】

岩本寺(高知県)

【37_本堂内陣の格天井画】
 1978(昭和53)年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。

岩本寺の芸術

【37_本堂内陣の格天井画】
 9枚に描いた龍がいます。

岩本寺の芸術

【37_本堂内陣の格天井画】
 マリリン・モンローはどこ。内陣に入ってすぐ上にいらっしゃいました。

岩本寺(高知県)

【37_石柱門】
 路地の奥にある山門(仁王門)をくぐって境内へ

岩本寺(高知県)

【37_トゥクトゥク】
 路地の途中に駐車。ポップなアートで愛(LOVE)を感じるお寺でした。

岩本寺の御朱印
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岩本寺の基本情報

住所高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
行き方

窪川駅下車 (0.7km)
36【青龍寺】より
(自家用車)約1時間30分 約50km
(徒歩)約16時間 約55.5km
38【金剛福寺】より
(自家用車)約2時間30分 約94km
(徒歩)約25時間 約86.5km

アクセスを詳しく見る
名称岩本寺
読み方いわもとじ
参拝時間

納経所/7:00~17:00

トイレ仁王門の横
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0880-22-0376
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬あり

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
山号藤井山(ふじいさん)
院号五智院(ごちいん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天平年間(729~749)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

体験御朱印宿坊札所・七福神巡り

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