佐川町乗台寺は、吉祥山、無量寿院、乗台寺と称し、真言宗智山派に属し、京都智積院末である。当寺は、元越知町遊 行寺に在って、其の開祖は、然天坊宗真にして、天慶年間(一 千年前)に開創されたものである。貞義坊、清泉坊、遠輝坊、 遊行坊、天真坊弘海等の名僧智識相次いで法鼓を鳴らし、法灯燦然として四隣を照らす。
其后数百年、南北朝時代に至り、佐川郷三野城主、三野三郎左衛門惟宗朝臣師信(前越前守従五位下、土佐国守護法要師)が、正平十九年(北朝の貞治三年)に佐川へ移転して、 乗台寺と名命したものである。
師信の位牌には、「乗台寺殿利海秦公大居士、応安三年十二月八日卒」とあり、これを乗台寺開山大檀那とす。平成二十七年が開山六百五十年に相当する。初代の住職は円覚と称し佐川城主の菩提寺として、本尊に阿弥陀仏を安置す。戦国時代に、長曽我部の家老、佐川城主久武内蔵之助親直(天正七年五月廿一日に、伊予国、岡本城下に於て戦死) の墓は、当寺の裏山にある。三野氏、中村氏、久武氏の菩提寺。 其后徳川時代に至り、深尾公、佐川に封ぜられるに及び、 同家の祈願寺と定められ、爾来同家の営繕にかかり、本尊阿 弥陀如来は持仏堂の本尊とし、別に不動明王を勧請して本尊とする。当寺の庭園は二代目の奥方病気の時、平癒祈願をなし、効験あり、全快の御礼として築かれたのもと伝えられている。すでに四百年の歳月を経ており、県三名園の一つ樹種はツツジの古木、大タラヨ、大イチョウ(高さ三○米)カシ、シャクナゲ、モミジ、センブク、ビヤクシン等植物の宝庫、中でも見ものは(池に自生する水ニラ、ジュンサイ、大木に自生するセッコク、フウラン主石の配置となだらかなしばふの緑、樹木と樹木が織りなす空間の美等) 巧みに自然を取り 入れて奥深く見あきない池泉回遊式庭園一番の見頃は晩秋(十 一月中頃) 昭和十一年に、文部省から、史跡名勝天然記念物として指定されている。(現在は県史跡名勝)この庭園内にある銀杏の大木に享保年間の大火の際、当寺の宝物巨勢金岡の筆、不動明王の軸物がかかってその難をのがれたので、土 地の人々は乗台寺の飛不動と云って尊崇している。(現諸堂は安永四年深尾公再興)
当寺は高吾北の本山格にて、東光寺、八幡寺、宮原寺、横 倉寺、妙福寺、長楽寺、法華寺、法輪寺、善定寺等の末寺が あったが、何れも、明治四年に廃寺となり当寺に合併されて いる。
爾来六百五十年現住職(種田快徳和尚)は五十六代目、県 下に多くの檀家を有する寺院である。尚寺宝として(本尊不動明王座像、久武蔵之助守り本尊象牙昆沙門天。巨勢金岡筆 伝絹本飛不動、絹本唐画十六善神。絹本唐画五大力尊、平安 時代作薬師如来座像。国吹阿弥陀三尊仏、中村越前守内室の 守り掛仏。狩野探幽筆つばめ三幅。中国渡来伝八方にらみの 虎の額等がある。) |