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雲龍寺ではいただけません
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うんりゅうじ|曹洞宗瑞光山

雲龍寺
群馬県 渡瀬駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

雲龍寺について

田中正造の六つの分骨地の一つ。
足尾銅山鉱毒事件で、田中正造が公害闘争の拠点としたお寺。
鉱業停止請願事務所や足尾鉱毒被害者救済施療所「救現堂」が置かれた。

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くし
2024年01月10日(水)
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せっかく椿田稲荷に来たので、すぐ近くにある田中正造翁の分骨地の一つである雲龍寺に再訪してみることにしました。

真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし

能登半島地震とか昨年からの熊害などを見るにつけ、本当に人間は自然に対して無力だな・・・と、最近しみじみと思います。
まぁ人の力ではどうにもならない地震はともかく、熊害に関しては、再生可能エネルギー・脱原発なんつって山にメガソーラー作りまくった反動なんて説もあるみたいですし、現地の人の被害ガン無視で絶体安全な場所から「可哀想だから殺すな!」とか抗議電話掛けまくる輩もいたり・・・

・・・まぁ普段はそこまでエコ寄りの人間でもないのですが(^^; たまには自然との共存と文明の行く末について正造翁の霊と語らうのもいいかと。
一応龍の字も入ったお寺ですし、辰年的にも良いかなとw

このお寺は過去に受印済みなので今日は参拝のみで受印はしないつもりだったのですが、以前はなかった正造翁の救現堂の御朱印も増えてたので思わず受印(^^;
まぁ最近、朱印料を軒並み500円に値上げした寺社が多いなか300円据え置きだったのでこれならいいかなとw
田中正造に纏わる他の寺社もほぼ全て周りましたが、正造翁そのものの御朱印はこれが初めてだったし、
この救現堂は正造が亡くなる13日前に「現在を救いたまえ」と祈ったことに由来するそうで、世間的にも個人的にも何か妙に象徴的だな(゜゜;)と・・・

若きご住職に聞いたところ、この御朱印を始めたキッカケというのが、正造百十回忌法要の準備で救現堂内を整理していたところ、今まで存在を知られていなかったこの印が出てきたためとのこと・・・
何やら100年経っても「真の文明」を築けぬ人類を憂いて正造翁が警鐘を鳴らしに戻ってきてくれたような不思議な話ですね(・・;)

雲龍寺の御朱印

受印はしないつもりでしたが、以前はなかった田中正造翁の御朱印ができており、これはいただかねばと・・・(^^;
ここのお坊さん、非常な達筆でもありますしね♪

雲龍寺(群馬県)
雲龍寺(群馬県)
雲龍寺(群馬県)

山門

雲龍寺(群馬県)

山門入ってすぐ左に薬師堂

雲龍寺(群馬県)

堂内の薬師如来像

雲龍寺(群馬県)

足尾鉱毒事件の活躍有志の慰霊碑

雲龍寺(群馬県)

まずは正造翁を祀った救現堂を拝みます

雲龍寺(群馬県)
雲龍寺の建物その他
雲龍寺(群馬県)

田中正造の分骨墓

雲龍寺(群馬県)

正造を神(仏?)として祀る救現堂

雲龍寺の建物その他
雲龍寺(群馬県)

この貼り紙を見て色めきたつ!
これは受印しよう(*°∀°)=3

雲龍寺(群馬県)

目の前は正造翁が生涯戦い続けた渡良瀬川の土手

雲龍寺(群馬県)

水子・子育ての奉納地蔵

雲龍寺(群馬県)

水子地蔵尊

雲龍寺(群馬県)

慈母観音

雲龍寺(群馬県)

本堂

雲龍寺(群馬県)

百年前にここで田中正造が演説したり、東京大挙押出しで数千人の農民が集結したりしたと考えると胸熱

雲龍寺(群馬県)

館林市発行の足尾鉱毒事件の資料もいただきました

雲龍寺(群馬県)

六つの分骨地のうち、加須市の田中霊場だけがまだ未参拝

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雲龍寺の基本情報

住所群馬県館林市下早川田町1896
行き方
アクセスを詳しく見る
名称雲龍寺
読み方うんりゅうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0276-73-4163
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊《本尊》釈迦如来
《救現堂》田中正造
《薬師堂》薬師如来
山号瑞光山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代天文22年(1553年)
開山・開基早川田氏家臣
文化財

田中正造の墓・救現堂(足尾鉱毒被害者救済施療所)(館林市史跡)

ご由緒

天文22年(1553年)「第二次国府台の戦い」で北条氏康に従い里見義堯勢と戦い討死した、当地の領主 早川田唯種(さかわだゆいたね)の冥福を祈るため、家臣により曹洞宗の寺院として創建された。
明治29年(1896年)10月、田中正造は渡良瀬川左岸の位置している当寺に栃木群馬両県鉱毒事務所を設けた。さらに足尾銅山鉱業停止請願事務所として栃木、群馬、埼玉、茨城の4県鉱毒被害民の闘争本部となった。
また、三つ作られた足尾鉱毒被害者救済施療所「救現堂」の一つが当寺にも設けられた。
明治33年(1900年)2月、鉱毒被害民はここに集結し請願のため上京する途中、利根川を渡ろうとして川俣村(現明和町)で弾圧された(川俣事件)。
大正2年(1913年)夏、田中正造は当寺に立ち寄った後に支援者の庭田清四郎宅で倒れ、9月4日に旧谷中村の自宅に帰ることなく没した。
本葬が行われた惣宗寺(佐野厄除け大師)や田中家の菩提寺の浄蓮寺とともに当寺にも遺骨が分骨され墓が設けられた。

体験御朱印武将・サムライ有名人のお墓

Wikipediaからの引用

概要
雲龍寺(うんりゅうじ)は、群馬県館林市下早川田町にある曹洞宗の寺院。足尾銅山鉱毒事件で公害闘争の先駆者となった田中正造が闘争の拠点とした地で、1896年の大洪水を契機に鉱業停止請願事務所が設けられた。
歴史
歴史[編集] 朱門 田中正造の墓 救現堂 天文22年(1553年)に早川田氏家臣により、曹洞宗の寺院として創建された。明治29年(1896年)10月、田中正造は渡良瀬川左岸の位置している当寺に栃木群馬両県鉱毒事務所を設けた。さらに足尾銅山鉱業停止請願事務所として栃木、群馬、埼玉、茨城の4県鉱毒被害民の闘争本部となった。また、三つ作られた足尾鉱毒被害者救済施療所「救現堂」の一つが当寺にも設けられた[1]。明治33年(1900年)2月、鉱毒被害民はここに集結し請願のため上京する途中、利根川を渡ろうとして川俣村(現明和町)で弾圧された(→川俣事件)。 大正2年(1913年)夏、田中正造は当寺に...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 東武佐野線渡瀬駅または東武佐野線田島駅より徒歩約30分 東北自動車道佐野藤岡インターチェンジより車で約20分(渡良瀬大橋北詰)
引用元情報雲龍寺 (館林市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9B%B2%E9%BE%8D%E5%AF%BA%20%28%E9%A4%A8%E6%9E%97%E5%B8%82%29&oldid=98227513

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