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定善寺ではいただけません
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定善寺のお参りの記録(1回目)
群馬県桐生駅

投稿日:2019年10月06日(日)
当山は寛永2年桑誉了的上人の草創にして浄土宗知恩院の末寺として法燈を掲げて今日に至った。
 開祖上人は浄土宗大辞典、増上寺史料集等によれば、桑誉上人は稀な高僧で増上寺14世、金戒光明寺27世を継いだ。生は甲斐の国で10才で同地瑞泉寺大誉順的に投じ剃染し17才の折武蔵埼玉与野長伝寺の存応慈昌に師事した。後存応が増上寺に住するに及んで了的、廓山共に師事した。亦家康、秀忠の寵を受け、慶長13年11月江戸城に於て妙満寺日経と宗論を討し廓山と共に此を破った。元和元年6月存応に従って上洛し知恩院満誉尊照と議し宗規35条を協定した。元和2年京都金戒光明寺27世となり紫衣の綸旨を賜る。寛永2年11月増上寺14世を継ぎ、翌年9月2代将軍秀忠崇源院殿送葬のご導師を勤めた。亦追薦万部会を厳修したこれ浄家の万部会の初である。寛永7年9月15日寂寿64才。墓碑は当山本堂奥歴代の内に在る。
 弘化嘉永の頃火災類焼により当山も焼失した。その再建には足利法玄寺19世闡誉上人弟子知海和尚に依って成れた。本堂に残る棟札によれば、足利法玄寺19世闡誉上人弟子知海和尚当山弘化元辰年7月4日入院仕嘉永元申年7月25日再建取極之事とある。亦嘉永2年7月晦日棟上吉祥日云々。再建当山17世叡誉とある。
 山門傍には太田大光院より明治25年8月8日呑龍上人像永代安置の碑がある。境内には俳人横山見左の碑、亦異母兄弟の横山菊涯の碑がある。亦昭和22年9月15日カスリン台風による渡良瀬桐生川の水害犠牲者供養碑がある。亦本堂脇には高山彦九郎三男儀助正脩の墓がある。法名は高誉山覚尚風居士、これに並んで相模秀の山、弟子秀の森善五郎の墓がある。
 最近山門脇にある不動堂修繕の折天井より棟札が見つかり、それによると、奉上棟不動堂一宇建立成就之候、維持元治二乙丑龍集三月吉日。大工棟梁出口卯之助。山田郡新宿桐生、一乗院宝蔵寺現住良秀代。世話人、内田作右ヱ門、小林七右ヱ門、常見清右ヱ門、塚越勝次郎、小島代次郎、と記されている。人の記憶から薄れてゆく廃寺宝蔵寺の名残である。
御朱印は無いそうです。
定善寺の本殿
定善寺の山門

すてき

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